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「これに落ちたらレースをやめる」16歳の角田裕毅が初めて涙した日…「あの落選で世界一のレーサーになってやるという覚悟ができた」《NumberTV》
posted2025/01/16 11:06
text by
柴田久仁夫Kunio Shibata
photograph by
Kiichi Matsumoto
【初出:Number1112・1113号[挫折地点を語る]角田裕毅「初めてレースで涙を流した」より】
16歳・角田裕毅「まさかの落選」
2016年11月。16歳の角田裕毅は、帰京の新幹線で溢れる涙を抑えられずにいた。
その数時間前、三重県・鈴鹿サーキットで行われた若手レーシングドライバーの登竜門SRS−F(鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ)の最終選考会で、角田はまさかの落選を喫した。
「フォーミュラ1年生だった僕が、海外レース経験者や国内チャンピオンの年長ドライバーたちと戦い続けて、最終選考レースまで勝ち進んだ。当日の僕は自信満々で、首位か、悪くても2位通過できると余裕の気持ちでした。ところがいざレースが始まると、ミスを恐れるあまり身体が硬く、こわばってしまった。それで自分のいつもの走りが全然できなくなってしまったんです」
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最終選考会では、スタートでフライングを犯し、最後尾からライバルたちを追う展開になったり、さらには無理な追い抜きでコースアウトを喫するなど、ミスを連発。ボロボロの出来だった。総合結果は3位。 ホンダのスカラシップ(奨学金)を得て国際格式のレースに出場できるのは上位2名のみ。角田は落選した。
カート時代の約10年間、メカニックとして全レースに帯同し、物心両面で支えてもらってきた父信彰とは、「これに落ちたら、レース活動はやめる」と、約束していた。
「息子からは、『通らなかった』と、短い電話がありました。ただ前後してスクールから、『金銭的なサポートはできないが、来季のレースシートを用意できるかもしれない』と連絡をもらっていました。ならば、 もう1年。そう決めました」
「世界一のレーサーに」という覚悟
日本人初のフル参戦F1ドライバーで当時のSRS−F校長だった中嶋悟が鈴鹿の最終シケインで角田の走りを観察し、スクールとしては異例の決定を下したのだった。
「最後尾を走ってる時は、開き直ってましたね。他車の乱流の影響を受けない状態で、気持ちよく操縦できる。もちろん『やっちゃった』という思いはありましたけど、純粋に楽しかったです。そんな走りを、中嶋 さんが面白いと思ってくれたのかな。でもレース結果で泣いたのは、あれが初めて。カート時代は、負けても悔しいとは一度も思わなかった。あの落選で、人生かけてレースに挑戦しよう、日本一、世界一のレーサーになってやるという覚悟ができました」
<後編へ続く>
【番組を見る】NumberTV「#12 角田裕毅 初めての涙、生まれた覚悟。」はこちらからご覧いただけます。