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心が壊れた「世紀の落球」をネタに…なぜ? G.G.佐藤が語る“人生激変の北京五輪後”「野村さんの助言はすごく響きました」
posted2023/02/27 11:01
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Yuki Suenaga
プロ野球の歴史を振り返れば、落球によって人生が変わってしまった選手は少なくない。しかし、彼らは引退後ほとんど口を閉ざしている。落球はトラウマとなり、深い傷となって心に残る。一方、2008年の北京五輪で二度フライを取り損ねたG.G.佐藤は悪夢を受け入れ、近年では自ら落球の話題を発信している。なぜ、吹っ切れたのか。その心境に至るまでの過程をNumberWebのインタビューで明かした。(全3回の2回目/#1、#3へ)※敬称略、名称や肩書きなどは当時
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「人の記憶に残るのは、星野仙一とおまえだけだ」
逝去の18日前、野村克也はG.G.佐藤をこう励ましていた。その真意とは――。
試合後に騒ぎ「ピンポン押しても出ない」
G.G.は中学時代に沙知代夫人がオーナーを務める『港東ムース』に所属。シーズンオフになると、ヤクルトの監督を務めていたノムさんが練習に訪れた。その時に聞いた『念ずれば花開く』という言葉を胸に、G.G.は野球に打ち込み、日本代表にまで上り詰めていた。
だが、晴れ舞台になるはずの北京五輪で「死にたい」と思うほどの心境に陥る。慣れないレフトを守ったG.G.は韓国との準決勝に続き、アメリカとの3位決定戦でも落球をしてしまう。このエラーをきっかけに日本は同点に追いつかれ、メジャーリーガーのいない米国に4対8で敗れてしまった。宿舎に戻ると、G.G.はすぐに外出した。
「ホテルにいたくなかった。申し訳ないけど、慰められるのも嫌だし、誰にも会いたくなかった。親と妻が来ていたし、食事に出掛けたんです。そしたら、心配して来てくれた選手が結構いたみたいです。ピンポン押しても出ないから、自殺したんじゃないかと大騒ぎになりました」
スポーツ紙に「EE佐藤」の文字が…
日本に戻れば罵声を浴びると覚悟した。飛行機に乗る前、G.G.は妻に『死にたい』とメールを送るほど追い込まれていた。搭乗すると、追い討ちをかけるようにスポーツ紙の見出しが目に入った。
〈E・E・E・佐藤 2日続けて…平凡な飛球をポロリ〉
〈EE佐藤 心のリハビリ休暇 L渡辺監督「いきなり先発厳しい」〉
取り上げられ方はG.G.の想像をはるかに超えていた。