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G.G.佐藤が明かす“あの落球”本当の理由…大会前にケガ→激痛も“言えなかった”守備の不安「注射を打って、座薬も入れて、胃薬も飲んだ」

posted2023/02/27 11:00

 
G.G.佐藤が明かす“あの落球”本当の理由…大会前にケガ→激痛も“言えなかった”守備の不安「注射を打って、座薬も入れて、胃薬も飲んだ」<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

「今でも悔しいし、立ち直れたのかはわかりません」。あの北京五輪から15年、G.G.佐藤がインタビューに応じた

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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Takashi Shimizu

 人は、歴史の積み重ねの上に生きている。それを忘れた時、過去と同じ惨事が繰り返される。世界一を目指すWBCを前に振り返るべきもの――それは2008年の北京五輪ではないだろうか。星野仙一監督が「金メダルしかいらない」と豪語して臨んだ大会は4位に終わった。韓国との準決勝、アメリカとの3位決定戦で落球したG.G.佐藤は戦犯として叩かれた。なぜ、あのミスが起こったのか――。NumberWebのインタビューに応じた(全3回の1回目/#2#3へ) ※敬称略、名前や所属などは当時 

 ◆◆◆

「今でも悔しいし、立ち直れたのかはわかりません」

 G.G.佐藤は静かに語り始めた。その表情にYouTubeなどで見せる天真爛漫な明るさはなかった。

“大逆転劇”だった代表入り

 オリンピックイヤーの2008年、G.G.は絶好調だった。渡辺久信監督就任1年目の西武で開幕から「5番・ライト」に定着。6月中旬には打撃3部門でトップに立ち、お立ち台では「キモティー!」という決め台詞を叫んで人気を呼んだ。そして7月17日、北京五輪の代表メンバーが発表される。高橋由伸や和田一浩、赤星憲広など有力選手が落選する中、G.G.が初めて選出された。星野監督は会見でこう述べていた。

〈佐藤も苦労を重ねて、こういう発表に名を連ねた。現在進行形で、昨年から今年にかけて頑張っている1人です〉

 ファーストを務めた神奈川の桐蔭学園では選手として甲子園に出場できず、ショートを守った法政大学では控えに甘んじた。ドラフトで指名されず、フィリーズ1Aの入団テストを受験。肩の強さが目に留まって捕手で合格するも、3年で解雇された。帰国して西武の入団テストを経て2003年秋にドラフト7巡目で指名されるが、松坂大輔のスライダーを捕れず、捕手はキャンプ4日目でクビになった。

 そんな男の代表選出はジャパニーズ・ドリームと言えるような大逆転劇だった。

「『予選に出てない俺でいいの?』と感じた一方で、選ばれて当然とも思いました。とんでもなく絶好調だったので、鼻は伸びきっていたし、地球は俺のために回っているぐらいに思っていた。金メダル獲って、『キモティー!』と叫んだら流行語大賞だろうなと」

「調子に乗ってたんでしょうね」

 星野監督は全24選手に直筆の手紙を送っていた。西岡剛と川崎宗則は五輪前の対談でこう語っている。

〈西岡 この合宿の前に、手紙をいただいたんですよ。その最後のフレーズがカッコ良くて、監督にホレました。「北京の夏に、季節外れの桜を咲かそう」と。

 川崎 あれは、シビれたね。

 西岡 シビれましたね。選ばれた全選手に手紙を送られたそうなんですよ。合宿初日に、みんなが集まったときに初めて声を掛けるんじゃなくて、その前に心のこもった手紙をくださるという心遣い。あの手紙は本当にウチの家宝です〉(2008年8月18日号/週刊ベースボール)

 G.G.は星野監督からの直筆メッセージをどう感じていたのだろうか。

【次ページ】 「外野はどこでも同じ」の空気

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