プロ野球PRESSBACK NUMBER
心が壊れた「世紀の落球」をネタに…なぜ? G.G.佐藤が語る“人生激変の北京五輪後”「野村さんの助言はすごく響きました」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byYuki Suenaga
posted2023/02/27 11:01
2008年北京五輪で二度フライを取り損ねたG.G.佐藤は悪夢を受け入れ、近年では自ら落球の話題を発信している。なぜ、吹っ切れたのか
「ビックリしましたね。当時はネットニュースも発達していなかったので、北京では情報があまり入ってこなかったんですよ。自分が考えている以上に、日本では大変なことになっていると思いました」
“イップス”に陥らなかった理由
帰国後、スタメン出場させるか迷っていた西武の渡辺久信監督はすぐにG.G.を「5番・ライト」の定位置で起用した。米国戦の落球から3日後の8月26日の楽天戦で西武ドームに戻ると、ファンの優しさに触れた。ライトスタンドには、〈GGは俺たちの誇り〉〈恐れず、進め!〉などのプラカードが掲げられていた。2回、ホセ・フェルナンデスがライトに打ち上げると、球場内がどよめく。G.G.がキャッチすると、大歓声に包まれた。
過去には一度の落球がトラウマになり、引退に追い込まれた選手もいる。だが、G.G.は難なく捕球し、その後も二度と落球しなかった。この違いは何なのか。
「守備は不得意ではなかったですし、捕れないとは思いませんでした。大きな失敗をしても、帰れる場所があるっていいですよね。僕は家族に助けられたし、チームメイトもライオンズファンも温かく迎え入れてくれた。本当に救われました。平凡なライトフライを捕ってガッツポーズしたのは僕くらいでしょう。試合後、『所沢の空が北京の空に見えました』とコメントしたら、『ふざけるな』と批判されましたね(笑)」
北京の傷は深いままだったが、せめて注目を集めている現状を楽しもうという余裕があった。つまり、主観的に捉えて悲観するだけでなく、客観的な視点を持つことで若干の落ち着きを取り戻した。生真面目さと遊び心――。相反する心理が同時にうごめいていたからこそ、イップスにならなかったのかもしれない。
「いきなり治る方法なんてない」
順調な再スタートを切ったかに見えたが、9月6日に左足首の疲労骨折で登録を抹消され、残り試合を棒に振った。シーズン中も、埼玉の西武ドームでナイターが終わると、大学時代から慣れ親しんだ神奈川のジムに通うなど愚直に自分を追い込み過ぎたゆえのケガだった。G.G.がいなくなっても好調を維持した西武は4年ぶりにペナントを制し、日本シリーズでは巨人を破って日本一になった。
「野球人生で、メンタル的には一番辛い時期でした。自分が不在の中で、他の選手が活躍して勝っていく。完全に蚊帳の外でしたからね」