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“異様な期待値”のWBC…ダルビッシュ発言に「その考えがあったら落球しなかったかも」G.G.佐藤が語る優勝候補→完敗→中傷の“失敗学”
posted2023/02/27 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Yuki Suenaga
WBC侍ジャパンのメンバー発表の記者会見で、栗山英樹監督はそう言い切った。この発言は奇しくも、北京五輪の星野仙一監督の「金メダル以外いらない」と似ている。15年前、国際大会の重圧もあって“世紀の落球”をしてしまったG.G.佐藤だから言える栗山監督への提言、日本代表がプレッシャーに苛まれないための事前策とは――。NumberWebのインタビューに応じた。(全3回の3回目/#1、#2へ) ※敬称略、名称や肩書きなどは当時
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「センターを本職とする選手がいない。そこが気になりますね。ヌートバーが守るのか、鈴木誠也に任せるのか。外野に関しては手薄ですし、心配ですね」
G.G.佐藤はWBCのメンバー表を眺めながら、そう呟いた。外野手5人の中で、昨年センターでの最多出場は近藤健介の36試合。続いて周東佑京34試合、ラーズ・ヌートバー12試合で、吉田正尚と鈴木誠也は1試合も守っていない。2008年の北京五輪で本職のライトではなく、レフトで起用されて2つの落球と1つのトンネルをしてしまったG.G.は普段と違うポジションに就く点を不安視する。
北京の後悔「無理矢理ひとつになろうと…」
「僕は、レフトもライトもそんなに変わらないだろうと油断していました。代表合宿最初のミーティングで、初対面の星野仙一監督に『レフトで行くぞ』と言われ、練習初日に右肩を痛めてしまった。パ・リーグ選抜との壮行試合で左に切れていく打球の処理をミスして、自信を失った。試合に出たいから首脳陣に肩が痛いとも言えないし、レフトの守備について聞ける人もいなかった。自分一人で不安を抱え込んでしまったんです」
4位に終わった北京五輪の侍ジャパンは、明らかに準備不足だった。G.G.が慣れない守備位置を告げられてから、初戦までわずか12日。直前合宿だけではチームの一体感も形成しづらかった。
「合宿の期間も6日しかなかった。そのため、いまいちお互いを分かり合えず、北京に行ってからも“よそゆきの感じ”は拭えませんでした」
その雰囲気を変えようとしたのが、大会中に22歳になったダルビッシュ有だった。予選リーグ初戦のキューバ戦で5回途中4失点で敗戦投手になった翌日、田中将大とともに丸刈りにして気合を入れた。すると、翌日には阿部慎之助と川崎宗則も同じ髪型にした。