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《秘蔵写真満載》バイクレースを変えた天才…写真で振り返るバレンティーノ・ロッシの情熱と革命の歴史

posted2022/12/29 17:00

 
《秘蔵写真満載》バイクレースを変えた天才…写真で振り返るバレンティーノ・ロッシの情熱と革命の歴史<Number Web> photograph by Satoshi Endo

ヤマハYZR-M1を駆る2017年のバレンティーノ・ロッシ。ヤマハでの2度目の挑戦では王座に届かなかった

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遠藤智

遠藤智Satoshi Endo

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Satoshi Endo

 1949年に始まったロードレース世界選手権(WGP)の歴史のなかで、「スーパースター」と呼べるのは、バレンティーノ・ロッシだけではないだろうか。

 1996年に125ccクラスでグランプリにデビューして以来、125cc、250ccクラスで1回ずつ、500ccとMotoGPの最高峰クラスでは7回と、合計9回のタイトルを獲得。残した数々の記録はこれからのライダーたちの目標になることは間違いないが、ロッシが残したのは記録だけではない。

 サーキットのスタンドを埋めるファンはもちろんのこと、映像を通じて、世界のロードレースファンに語りかける仕草やポーズは、レース好きのハートを鷲掴みにした。表彰台での楽しくて愉快なパフォーマンスはファンとの距離をぐっと縮め、コース上では新しいライディングのテクニックを生み出した。

 そんなロッシも2021年限りで引退。現役生活を26年間続けられた要因を「情熱」と語ったが、その情熱から生まれたロッシならではのエピソードを写真とともに紹介していきたい。

「無敵のコンビネーション」2001年11月 ヘレステスト

 2002年から最高峰クラスのマシンには、従来の2ストローク500ccから4ストローク990ccが導入された。ホンダは2ストロークのNSR500に加え、ニューマシンRC211Vをヘレステストに用意した。

 同年は過渡期として2スト、4ストのマシンが混在するシーズンとなり、テストでは、2001年にNSR500でタイトルを獲得していたロッシにバイクに乗り込んでもらい、2002年シーズン、NSR500かRC211Vのどちらで参戦するかを決めてもらう予定だった。だが、ロッシはピットを出てからわずか5周でRC211Vを選択。そして、2002年、2003年と、RC211Vで敵無しのシーズンを送った。

「加藤大治郎との遭遇」2001年11月 ヘレステスト

 同じくヘレステストでのワンカット。この年、250ccクラスでシーズン11勝(現在も250cc・Moto2クラスのシーズン最多記録)を挙げていた大ちゃんこと加藤大治郎は、2002年シーズンからNSR500でデビューすることになっていた。大ちゃんは、ヘレス、バルセロナ、フィリップアイランド、もてぎ、セパンなどをテストで走り、500ccのレコードを持つロッシの記録を次々にブレイク。ロッシにとって最大のライバルかつ、脅威になることが予想された。

 そんな二人が並んだ記者会見が、11月のウインターテストで初めて実現。二人とも体制発表前で私服だったが、会場は緊張感にあふれていた。

「あこがれのノリックと」2002年7月 ドイツGP

 1994年の日本GPでワイルドカードで衝撃のデビューを飾ったノリックこと阿部典史。彼の強烈な走りを見てファンになったロッシは、「ろっしふみ」というステッカーを作り、引退までマシンに貼り続けた。ドイツGP会見場で初めて同席した二人だが、ロッシは2001年に500ccでタイトルを獲得しており、言わば格上。このときはノリックの方が緊張したと語っていた。

【次ページ】 「ファンを魅了するパフォーマンス」2009年9月 サンマリノGP

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#バレンティーノ・ロッシ

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