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「いまはやりきった気持ち」ホンダF1復活の立役者・山本雅史MD57歳の退職後の新たな挑戦とは<実は入社時はエンジニア>

posted2022/01/14 17:01

 
「いまはやりきった気持ち」ホンダF1復活の立役者・山本雅史MD57歳の退職後の新たな挑戦とは<実は入社時はエンジニア><Number Web> photograph by Getty Images

アブダビGPでタイトルを獲得し、レッドブル代表のクリスチャン・ホーナーと喜びを分かち合う山本MD

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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Getty Images

 ホンダF1でマネージングディレクターを務めてきた山本雅史が2022年の1月末をもって、ホンダを退社することが明らかになった。

 山本がマネージングディレクターとなったのは2019年。それ以前はモータースポーツ部長として、ホンダのモータースポーツ活動を牽引していたこともあり、山本は技術者ではなく、いわゆる「文系」のバックグラウンドを持つ人物だと思い込んでいる方もいるようだが、そうではない。

 山本がホンダに入社したのは1982年。しかも、それは東京・青山に本社がある本田技研工業ではなく、埼玉県和光市の本田技術研究所だった。高校時代に機械工学機械科に在籍し、ホンダに入社した山本が目指したのはエンジン設計だった。しかし、最初に配属されたのは市販する新車のデザインやモーターショーに出すための車を作る和光研究所にある試作ブロック。山本は上司を訪ね、こう言った。

「僕はエンジンの設計をやりたくてホンダに入ったんです」

 それを聞いた上司は次のように諭した。

「石の上にも3年という言葉を知っているか。社会人になったばかりなんだから、まず3年は社会勉強だと思って、いまの仕事を頑張りなさい」

 その言葉を胸に、山本は将来の夢を実現するための勉強だと信じ、与えられた仕事に懸命に取り組んだ。

ホンダでの使命を知った3年間

 3年後、その上司が仕事場にやってきて、こう言った。

「3年経ったぞ。どうするんだ?」

 3年前に相談したことを覚えていてくれたことに山本は感謝し、こう答えた。

「いまの仕事も、やってみると面白いです」

 そのときから山本は、こんな思いを抱いていたのかもしれない。

「組織が大きくなれば、いろんな人材が必要となる。ならば、自分を必要としてくれるところで、頑張ればいい。そして、そんな人たちが活躍できるかどうかは、その人材を束ねるリーダー次第だ」

 そのことを山本は、のちに取り組んだソーラーカー・プロジェクトで実体験する。

【次ページ】 窮地のホンダを救った決断

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