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“有馬記念で3年連続3着”ナイスネイチャ33歳がふるさとで過ごす幸せな余生「馬なのに“人間っぽくて大好き”と言われます」 

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曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

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photograph byDaisuke Asauchi

posted2021/12/25 17:03

“有馬記念で3年連続3着”ナイスネイチャ33歳がふるさとで過ごす幸せな余生「馬なのに“人間っぽくて大好き”と言われます」<Number Web> photograph by Daisuke Asauchi

今も多くのファンに愛されるナイスネイチャ。33歳を祝う「バースデードネーション」で3500万円を超える寄付が集まったことも話題を呼んだ

「ナイスネイチャが頑張ってくれると、朝早くに起きて働くのもまったく苦じゃなくなるんです。特に3回目(1993年)の有馬記念の3着は嬉しかったですね。天皇賞とジャパンカップで大きく負けて、人気を落としていましたから。思えば“ブロンズコレクター”と呼ばれるようになったのも、あのレースからだったかもしれません」

 この有馬記念で奇跡の復活を遂げた同期のトウカイテイオーがターフを去っても、ナイスネイチャは懸命に走り続けた。翌1994年にはGII高松宮杯で久しぶりの勝利をあげ、4年連続で出走した有馬記念でも5着と善戦。さらに翌年も現役を続け、ついに5年連続の有馬記念出走(結果は9着)を果たした。

3500万円の寄付を集める“広報部長”に

 引退後は種牡馬となったナイスネイチャだが、種付け頭数は少なく、2001年に種牡馬登録を抹消。生まれ育った渡辺牧場でのんびりと余生を過ごすことになった。しかしそのころ、不況の煽りを受けて同牧場の経営状況が悪化。渡辺夫妻は「たとえ未勝利馬であっても、生産した馬はできるかぎり引き取る」という方針を掲げていたが、当時は牧場そのものの存続が危うくなりつつあった。

 現役を引退し、乗馬などの名目で「用途変更」となった競走馬の多くは、食用として殺処分される。引退馬の支援活動を行う認定NPO法人・引退馬協会の沼田恭子代表理事は「最初に活動をはじめたころは、『いったい馬の平均寿命って何歳?』って思うくらい、天寿をまっとうできる馬が周りにいませんでした」と明かす。

「そんななかでも、渡辺牧場さんは昔から引退馬を大事にする牧場でした。ナイスネイチャの弟にあたるグラールストーンが前身の会のフォスターホース(複数の里親による支援を受ける制度)になった縁もあって、ナイスネイチャとお母さんのウラカワミユキ、GIIIのクリスタルカップを勝ったセントミサイルの3頭も引き取ることになったんです」

 ナイスネイチャとウラカワミユキ、セントミサイルにとって、引退馬協会からの月々の預託料が“命綱”になった。渡辺さんは「牧場がつぶれても、ナイスネイチャは人気もありますし、なんとか馬だけでも支えてくれれば……と思っていました。3頭をフォスターホースにしていただけて、毎月の預託料収入がとてもありがたかった。本当に不況で、生産牧場にとって厳しい時代でしたから」と深く感謝する。

【次ページ】 人間換算で100歳前後、ナイスネイチャの長寿の秘訣

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