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大相撲で使われる唯一の「鬢つけ油(税抜き1,250円)」には、なぜ“バニラ”が入っているのか?

posted2021/09/26 11:02

 
大相撲で使われる唯一の「鬢つけ油(税抜き1,250円)」には、なぜ“バニラ”が入っているのか?<Number Web> photograph by KYODO

力士たちは皆「オーミすき油」(税抜き1250円)を使って土俵に上がっている

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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『Sports Graphic Number』で好評連載中の「スポーツまるごとHOWマッチ」を特別に公開します! <初出:1029号(2021年6月17日発売)、肩書きなど全て当時>

 両国国技館のお膝元、東京・墨田区の街角には甘い香りがほのかに漂う。香りのあるところには決まってお相撲さんがいる。大銀杏を結うときに欠かせない、鬢つけ油の香りだ。

 大相撲でつかわれる鬢つけ油は、税抜き1250円の「オーミすき油」ただひとつ。江戸川区の町工場「島田商店」でつくられている。

 この道一筋68年の初代・島田秋廣さんが、甘い香りの正体を明かす。

「複雑に配合された3種の液体の香料も混ぜていますが、メインの香料はバニラです」

 バニラは60年続く、伝統の香りである。

 鬢つけ油は、すべて手作業でつくられる。

 釜に主原料の木蝋、菜種油とひまし油を加えて熱し、液状になったら3時間ほど冷まして、今度は香料を加えて棒で練る。ある程度の粘りが出てきたら、台上で力を入れてこね、型枠に入れて成型。70gずつに切り分ける。これを1日最大7回繰り返す。

時津風部屋は“オリジナルブレンド”

 この中で、もっとも重要な工程は練り。息子で2代目の陽次さんは「いちばん難しいのは、練り始めるタイミングかな」と言い、父の秋廣さんは「木蝋は釜の底の部分が熱く、上が早く冷める。熱が均等に行き渡るように練るには、コツがいるんだ。練り方はいくつもあって、目と身体で覚えるしかない」。そういって船頭のように棒を操り、釜いっぱいの木蝋を巧みに練る動きを見せてくれた。鬢つけ油は生きもの。温度に繊細で、季節や天候によって配合などが微妙に変わるという。

 鬢つけ油にはメインとなる固い油と微妙に柔らかい油があり、力士の髪質や床山さんの好みによって変わる。固い油だけをつかう床山さんが大多数だが、柔らかい油を混ぜ合わせる床山さんもいて、時津風部屋には床山さんの要望で特別に粘りを際立たせた油をつくっているという。つまりは時津風オリジナルブレンド。鬢つけ油はなかなかに奥深い。

 秋廣さんが独立して、江戸川区で工場を始めたのは1965年。結婚して妻とふたりで働いていたが、のちに次男の陽次さん、さらに陽次さんの妻が加わる。家族4人で守り続ける大相撲の伝統。だが、親子に気負いはない。

「雑談しながら息子と一緒に働いています。親子なので、まあ仲はいいですからね」と秋廣さんが言えば、「いまでも“そうじゃない”なんて指導されることはあるけどね」と陽次さんが冗談交じりに返す。

 甘いバニラの香りに包まれた小さな工場で、今日も匠の練りが続く。

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