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「何で私がバードマンなんだ?」名レスラー、ダニー・ホッジ逝く…“ノールール最強”の異色な才能
posted2020/12/29 17:00
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
AP/AFLO
米国より、往年の名レスラー、「鳥人」ダニー・ホッジの訃報が入ってきた。享年88。NWA世界ジュニアヘビー級王者としての実績云々だけでも語り継ぐべき存在なのだが、1990年代に入り、それまでプロレスが売りとしてきた「強さ」が他の格闘技やMMA(総合格闘技)興行の台頭とともに揺らぐ中、時代を共にした鉄人ルー・テーズをはじめとする往年のレジェンドたちが「彼こそが最強だった」「彼がもし、ノールールの試合に出場していたら大惨事が起きる……」などと語ったことで平成時代のファンにも、その幻想が一気に広まった伝説のプロレスラーなのである。
ホッジがプロレスに転向したのは27歳とかなり遅め。と、いうのもプロレス入り前の経歴が異色すぎる。
まず少年時代から親しんだレスリングで、オクラホマ大学時代にAAUを4度、全米大学選手権を3度制覇。19歳で1952年ヘルシンキ五輪に出場、56年メルボルン五輪ではフリースタイルのミドル級(79kg級)で銀メダル獲得と輝かしい成績を残している。
五輪銀メダリストの経歴でプロレス入りならば、さもありなんなのだが、ホッジは大学時代に誘われて、ほんの“かじった”つもりで始めたボクシングでも頭角を現わしてしまう。それも、半端なレベルではなく、すぐにオクラホマ州王者となり、その後はヘビー級で全米ゴールデングラブ王者に君臨し、短期間ながらプロボクサーとしても活躍。プロレス転向はその後の話なのである。
「奇跡」を達成した稀有な存在
レスリングとボクシングはともに古代オリンピックから競技採用された格闘技の二大古典。長い長い人類の歴史の中で駆逐されずに生き残ってきたことは、無駄なモノがそぎ落とされた両競技が非常に実戦的だという証拠にもなる。
93年に米国でさまざまな格闘技の選手を寄せ集めてノールールの“何でもアリ”を売りにアルティメット大会(現在のUFC)がスタートした際、まずはグレイシー柔術がその強さと実戦性を証明し、その後もさまざまな格闘技の選手が、その特性を生かした強さを披露した。
しかし、スタートから20年以上が経過し、「ノールールというルール」が整備され、MMA(ミックスド・マーシャルアーツ)なる名称も一般化してきた頃になると、互いの攻撃や防御も知り尽くされ、もはや「秘技」などは存在せず、その戦い方も、ボクシングに近い構えでステップし、レスリングの間合いとなれば、タックル等で相手を倒し、有利なポジションをキープしつつ殴るという「ボクシング&レスリング」スタイルに落ち着く傾向が見られた。“何でもアリ”で最も実戦的だったのは結局はレスリングとボクシングの二大古典だったということが証明された。
ストライカーとグラップラー。打撃系と組み技系格闘技では、強化すべき筋力も異なるし、選手の適性も違う。ゆえにトップレベルで両競技を両立させた選手はいないはずなのだが、ホッジはその二大格闘技でトップクラスに君臨する「奇跡」を達成した稀有なる存在なのだ。