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“なにわのプリンス”岩隈久志にも豪快“近鉄戦士”のDNAが 「常に自分が一番うまいと思っていました」
posted2020/11/13 11:01
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
KYODO
近鉄戦士といえば、豪快な荒くれ者のイメージが強い。そんな中、“なにわのプリンス”と呼ばれたスマートな岩隈久志は異彩を放っていた。21年間の現役生活にピリオドを打ち、引退会見を行った岩隈は、近鉄についてこう話した。
「今はなくなってしまった近鉄バファローズという、いてまえ打線、大阪の勢いがあるチームからのスタートでした。僕も古久保(健二)さんのミットめがけて、がむしゃらに投げた記憶が瞬時に蘇ってきます」
感情を表に出すことなく、いつも淡々と投げるその姿からは、心の内がなかなか見えてこない。しかし岩隈に子どもの頃の話を訊くと、いかにも近鉄戦士らしい豪放磊落な一面を垣間見ることができる。彼がこんな話をしていたことがあった。
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「僕はプロに入ってから野球の技術を学んだんです。それまではただ投げてただけ。常に自分が一番うまいと思っていました。だから何かに向かって努力したとかコイツに負けないようにやってきたとか、そういう経験がまったくないんです」
「もう一花咲かせようと戦ってきましたが」
少年時代の岩隈は飛び抜けて背が高く、誰よりも速い球を投げられた。そんな溢れ出る才能のおかげで、フォームを工夫したり、球を速くしようと自らを鍛える必要がなかった。
「高校でもウエイトしたことはないし、バランスって言葉も知らなかった。身体は開くし、バッターからは見やすい。ガムシャラに投げるだけじゃ打たれるに決まってるし、甲子園に行けるはずないって、高校生の自分に言ってあげたいですね」
そんな岩隈が沢村賞とMVPを獲得、メジャーではノーヒットノーランを達成し、日米通算で170勝という実績を残したのだから、彼がプロの世界で磨きをかけた技術がいかほどのものだったのかがわかる。
岩隈は「もう一花咲かせようと戦ってきましたが、残念ながら一軍での登板は果たせませんでした」とも話していた。確かに一軍での登板は叶わなかったが、昨年8月、東京ドームでのイースタンの試合で、2万人のファンがジャイアンツのユニフォームを着て投げる岩隈を見ている。その日、岩隈が投げたボールに相手バッターは明らかに気圧されていた。肩への不安を抱えながら投げたこの12球には、プロで磨いた岩隈の技術の粋が詰め込まれていた。