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橋本真也vs.小川直也から20年。
『負けたら即引退!』による光と影。 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2020/04/28 19:00

橋本真也vs.小川直也から20年。『負けたら即引退!』による光と影。<Number Web> photograph by AFLO

引退を懸けた戦いに頭を短く刈り込んで挑んだ橋本だったが、小川にSTO6連発を前にKO負けを喫した。

想像を超えた橋本のKO負け。

 引退を懸けたこの一戦について、「どうせ橋本が勝って、引退しないんでしょ?」と、したり顔で語る声も試合前には少なからず聞かれたが、結末はファンや関係者の想像を超えていた。

 序盤こそ、水面蹴りの奇襲から橋本が優位に試合を進めるが、やはり小川の必殺STO(変形大外刈り)で流れを変えられ、最後はSTO6連発の前にKO負け。試合後、橋本が本当に引退を表明するという、まさかの結末となったのである。

 この試合のテレビ放送は、そのド直球なアプローチが世間の大きな関心を呼び、平均視聴率15.7%、瞬間最高で24%という高い数字を記録。スキャンダルを逆利用し、世間の注目を集め大きな話題とするといういわゆる猪木イズムを、発揮したかたちとなった。

 あの“1.4事変”を仕掛けた黒幕が猪木であったとするならば、東京ドームを3度も満員にし、長らく深夜帯に甘んじていたテレビ放送でも高視聴率を獲得するなど、ビジネス的見地から考えると大成功を収めた一連の橋本vs.小川は、猪木の功績ということになる。

格闘技路線へ邁進するきっかけに。

 事実、この小川vs.橋本のあと、新日本における猪木の発言力は一気に増し、事実上の最高権力者として復権。新日本にとっては、今や“黒歴史”である格闘技路線を邁進するきっかけにもなってしまった。

 引退を表明していた橋本真也は結局、4.7ドームで小川に敗れた半年後に復帰をはたすが、同年11月には新日本を退団し、新団体ZERO-ONEを旗揚げ。レスラーとして生まれ育った新日本との関係を断ち切った。

 さらに猪木の推し進める格闘技路線に反発した武藤敬司らも2002年1月をもって新日本を離れ、ライバル団体の全日本プロレスへと移籍。新日本は選手とスタッフの大量離脱に見舞われ、2000年代半ばには存亡の機に立たされることとなる。

 今も多くのファンの記憶に色濃く残る一連の小川vs.橋本は、プロレス界の流れを大きく変えるほどの影響があったのだ。

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