酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
選手・野村克也の偉大過ぎる記録。
出場数2位の打てる捕手&走塁上手。
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2020/02/13 11:50

南海ホークス時代の野村克也氏。NPB史に残るスーパープレーヤーだった。
意外と俊足、トリプルスチールも!
昭和の時代、南海ホークスの試合はたまにNHKがやるくらいで、めったにテレビで見ることはなかった。だからオールスター戦の中継で全パの4番として野村が出ているときは、都会で出世した倅を見守るような心持ちで見ていたものだ。
ブラウン管を通して見る野村克也の第一印象は「足が短い」というものだった。王貞治、長嶋茂雄などセのスターに比べても短足でもっさりしていた。ゴロを打つとその短い足を互い違いに動かして、一生懸命走っていた。およそ「俊足」とは縁がないように見えたが、実は野村は盗塁が得意だった。
以下、捕手として1000試合以上出場した選手の通算盗塁数5傑。()は捕手出場試合数。
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1.伊東勤 134盗塁(2379試合)
2.野村克也 117盗塁(2921試合)
3.土井垣武 87盗塁(1170試合)
4.加藤俊夫 73盗塁(1349試合)
5.城島健司 72盗塁(1245試合)
試合数が多いことは考慮すべきだが、野村は史上2位の117盗塁。1967、70、71年には2けた盗塁を記録している。
2019年、阪神の梅野隆太郎が捕手として10年ぶりに2けた盗塁を記録して話題になったが、野村は「走る捕手」だったのだ。
野村で特筆すべきは117盗塁のうち、ホームスチールが7つもあることだ。その多くは、野村が三塁で、一塁または二塁に走者がいるケース。ここで三塁からサインを送って他の走者を走らせて、そのすきに本塁を陥れた。
“鈍足”のイメージのある野村は、そのイメージを逆手にとって大胆な走塁をしたのだ。
なお1972年には5月18日の阪急戦、9月20日の西鉄戦でシーズン2度のトリプルスチールを記録している。
勝利のマーケティングを実践。
こうした野村の姿勢からうかがえるのは「白星につながることなら何でもする」という貪欲さだ。
投手と捕手が共同して盗塁を防ぐクイックモーションは、野村克也が編み出したとされる。これには異論があるようだが、配球や守備位置など、小さなことでも「勝ちにつながる」ことならなんでもやってみたのだ。
野村は野球とは「勝つためのあらゆる努力だ」と思っていたのだろう。筆者はサラリーマン時代、マーケティング部門の上司から「マーケティングとは売るためのすべての努力だ」と教えられたが、野村はまさに「勝利のマーケティング」を実践していたのだろう。
後年、野村の著書を企業経営者が高く評価したのは、企業運営に通じる「マーケティング精神」があったからだと思う。