酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“令和初の名球会”は坂本か藤川か。
石川雅規が40歳で挑む、あと29勝。
posted2019/11/25 11:15
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
今年亡くなった金田正一氏の功績はあまたあるが、中でも特筆すべきものに「日本プロ野球名球会(通称名球会)」の設立がある。
設立当初の基準で言えば、NPBで200勝あげた投手、2000本安打を打った打者に入会資格があった。あくまで私的な団体が制定した基準だが「名球会」はプロ野球選手に、大きな目標を与えた。
「名球会」ができるまで、2000本安打、200勝を達成した選手の扱いは時代により、メディアによりまちまちだった。
筆者は新聞縮刷版で達成選手の達成時の記事を確認したところ、川上哲治や長嶋茂雄の2000本安打は一般紙でも大きく取り上げられたが、広瀬淑功、張本勲、王貞治などはスポーツ紙でもベタ記事の扱い。選手のコメントさえほとんどなかった。
しかし1978年に「名球会」ができてからは、スポーツ紙も一般紙も大きく取り上げるようになった。「名球会」は、超一流選手のステイタスになったのだ。
野球殿堂よりもわかりやすい?
功績のあった選手を顕彰するものとしては「野球殿堂」がある。
こちらはNPB公認で権威があるが、殿堂入りするのは引退してかなり年数がたった選手なので、基準がはっきりしない。
しかし「名球会」は2000本、200勝と基準が明確で、現役選手が目の前で称賛される。そのわかりやすさも普及した理由だろう。なお下世話な話だが、「名球会」入りしている野球人とそうでない野球人では「講演料」にも結構な差がつくことがあるという。
さて、現在の「名球会」の入会基準は2000本安打、200勝、250セーブとなっている。また「日米通算」もOKになった。
ただし、日米通算の場合「日本での記録を起点とする」となっている。MLBで1999本打った外国人選手が、NPBに移籍して1本打っても名球会入りとはならない。日本で最初に1安打を打ってからのカウントとなるのだ。