第96回箱根駅伝(2020)BACK NUMBER

[平成ランナーズ playback vol.1]
渡辺康幸「ライバルの存在が生んだ“1時間6分台”の衝撃」 

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折山淑美

折山淑美Toshimi Oriyama

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photograph byNaoya Sanuki

posted2019/11/14 11:00

[平成ランナーズ playback vol.1]渡辺康幸「ライバルの存在が生んだ“1時間6分台”の衝撃」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2010-2011年シーズンには早稲田大学監督として学生三大駅伝3冠も達成した。

2区で史上初となる“1時間6分台”。

 そんな想いが、渡辺をさらに強くした。

 2度目の2区対決となった'95年大会は渡辺自身も「会心の走りだった」と振り返る。

 前年の7月にはマヤカがハーフマラソンで同年の日本ランキング3位となる1時間1分57秒の自己新記録を出したのに対し、渡辺も10000mで日本ランキング3位の28分7秒94を記録。ふたりの対決は、名実ともに学生トップ2の対決となった。

 そのシーズンの箱根駅伝は、早大は主力3人が卒業した状況ながらも、渡辺自身は「総合優勝が狙える」と思って臨んだ大会だった。

 だが、1区で山梨学大の中村祐二が区間賞獲得の走りをしたのに対し、早大は9位。渡辺は2分1秒差でたすきを受けた。

 当時、渡辺が目標にしていたのは、それまでまだ誰も成し遂げていない“2区での1時間6分台の区間新記録”だった。前の選手を追いかける状況をうまく使った渡辺は積極的な走りで7人を抜き、順位を2位まで上げると、狙い通りに1時間6分48秒の区間記録を樹立。同じく区間新記録となる1時間7分20秒で走った山梨学大・マヤカとの差を32秒縮め、往路優勝への足掛かりを作った。

「あの6分台が4年間の箱根駅伝の中では一番嬉しいことでした。十分な準備をして、自信もあった。ラストは1年生の時より苦しくて、何も考えられず、たすきを渡して倒れ込んだ。そんな経験は後にも先にもあれだけです。精根尽き果てるまで走った、という感じでした。箱根駅伝の2区で1時間6分台という記録は、10000mを28分前後で走れる選手が、そこまで自分を追い込まないと絶対に出ないタイムなんだと思いました」

 そう本人が振り返ったように、それはまさに壮絶な走りだった。

20年以上経った今も輝く偉業。

 それまでの箱根駅伝2区の日本人最高記録は、'83年に日体大の大塚正美が出していた1時間7分34秒。その記録との対比を考えれば、渡辺の記録の価値は非常に高かった。

 その後、大学4年時には世界選手権に初出場し、ユニバーシアードの10000mで優勝。3月のびわ湖毎日マラソンへ向けた練習をしながら臨んだ'96年大会でも、2区を任され1時間6分54秒を記録した。チームの順位を9位から首位まで押し上げ、往路優勝を達成してみせた。

 渡辺が箱根路に登場してから20年以上が経った今でも、2区で2年連続で1時間6分台を記録したのは、渡辺以外では1時間6分4秒の区間記録を持つメクボ・ジョブ・モグス(山梨学大)だけだ。渡辺の記録がいかに規格外の偉業だったのかということを物語っている。

【次ページ】 それでも、ひとつだけ心残りがある。

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