日々是バスケBACK NUMBER
日本バスケはW杯で新しい時代へ……。
夢を諦めなかった2人と代表の仲間達。
posted2019/08/21 11:40
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
Kenzaburo Matsuoka/AFLO
どんな世界でも、それまで当たり前だと思っていた常識が変わるときがある。
日本バスケットボール界にとって、この1年はまさにそんなときだった。
その結果、サイズやフィジカルで他国に劣り、決定力も欠き、経験も浅く、世界どころかアジアでも勝てなかった日本代表が、フィジカルの強いオーストラリアやイランを倒し、接戦に勝ち、敵地での戦いも制して、自力でFIBAバスケットボール・ワールドカップ(以下W杯)出場権を勝ち取るまでになった。
男子日本代表が世界選手権/W杯に自力で出場するのは21年ぶり。オリンピックに至っては前回出場したのは1976年だ。それだけ世界の舞台から遠ざかっていた。
2017年11月から始まったW杯予選も、最初はそれまでの歴史が繰り返されるだけのように見えた。最初の4試合に4連敗し、いきなり1次予選敗退の崖っぷちに追い込まれたのだ。ところが、5試合目からすべてが変わった。
強豪オーストラリア相手に接戦を制して勝利すると、そこから怒涛の8連勝。2次予選に進み、W杯出場権も勝ち取り、まるで漫画のような劇的な展開で、世界への扉を開けた。
有望な選手がアメリカに行くのは無駄!?
その変化を引き起こした中心人物は、世間の常識にとらわれなかった2人の若者、八村塁と渡邊雄太だった。
2mを超える長身というだけで日本人離れをしているのだが、その彼らが高校卒業と同時に日本を飛び出し、アメリカに渡った。本気でNBAを目指し、その目標に近づくための渡米だった。
現在24歳の渡邊が渡米したのは2013年。
当時はまだ、日本バスケットボール界には、有望な選手がアメリカに行くことに対する抵抗が多く渦巻いていた。
田臥勇太が日本人として初めてNBAフェニックス・サンズと契約してから、すでに9年の年月がたっていた。田臥は4試合に出場しただけでサンズを解雇され、その後、続く選手がいなかった。それだけに、日本人にとってNBAは遠い夢物語だった。有望な選手がアメリカに行くのは無駄だという極論さえ聞かれた。国内とは違うスケジュールに縛られる海外組は代表活動に呼びにくいと、嫌がる関係者も多かった。