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消滅危機だった日本GP存続決定!
30回を迎える鈴鹿が勝ち取ったもの。
posted2018/09/09 17:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
AFLO
今年で契約が切れるF1日本GPを主催するモビリティランドが、2019年以降も鈴鹿サーキットで同GPを開催することを発表した。
多くの人々は、「鈴鹿がF1を手放す訳はないだろう」と高を括っていたのではないだろうか。しかし実際には、条件が整わなければ'19年以降の日本GPは開催を断念される可能性もあった。
理由は、ここ何年か減少し続けている観客動員数が関係している。日本GPの観客動員数は'06年の16万1000人(決勝・日曜日)がピークで、'13年以降は10万の大台を割り続けている。昨年に至っては初めて7万人を下回る6万8000人にとどまった。
それでも鈴鹿がF1を開催し続けられるのは、鈴鹿サーキットがホンダの創業者である本田宗一郎によって建設されたという背景がある。
「クルマはレースをやらなくては良くならない」という宗一郎の命によって、'62年に日本初の本格的なレーシングコースとして誕生したのが、鈴鹿だった。日本のモータースポーツの発展はここから始まり、'87年からはその最高峰であるF1を開催。ホンダにとってF1は、お金には代えられない価値のあるイベントだった。
鈴鹿=ホンダの構図に一石が。
しかし、それが逆に鈴鹿を苦しめることになった。時に採算を度外視した経営も珍しくなかった。
鈴鹿を運営するモビリティランドはホンダ・グループの連結決算の企業であり、たとえ損失を出しても、グループとして補填される構図があったからだ。
歴代の社長もホンダから送り込まれ、鈴鹿=ホンダとなっていた。
そこに現れたのが、'16年に13代目の社長に就任した山下晋だった。これまでの12人とは異なり、モビリティランド生え抜きから昇格した初の社長だ。山下はホンダの取締役会に対して、「'19年以降の日本GPは、条件が整わなければ開催断念もやむなしという姿勢で、F1の開催権を持つFOM(フォーミュラ・ワン・マネージメント)との交渉に臨む」と告げていた。