リオ五輪PRESSBACK NUMBER
奥原希望の実家で見た印象的な居間。
“思考力”が編み出した銅メダル。
text by
鈴木快美Yoshimi Suzuki
photograph byJMPA
posted2016/08/22 16:00
奥原希望は、山口茜との日本人対決に勝利してベスト4に進んだ。これまでの世界ランクの最高位は3位。4年後、25歳で迎える東京五輪は金を目指している。
バドミントンが盛んでない長野から埼玉の強豪へ。
まるでふたりは、心と心のぶつかり稽古をしているようだ。
圭永さんは、中学生になった奥原が世界へ手が届くようにと、世界で活躍した選手の講習会に参加させたりと、環境作りに腐心する。
一方、バドミントンが盛んでない長野県にあって、奥原はグリップをどう握ればよいか、体をどう使ったらいいかなど、自分で考えなければいけない場面が多かった。
ここにも、奥原が“思考力”を鍛えた痕跡がある。
その賜物だろうか。中学卒業後、埼玉の大宮東高に入学すると2年でインターハイ優勝、3年で日本一になるという大きすぎる目標も、予定より早く達成する。2011年、全日本総合を史上最年少の16歳8カ月で制覇したとき、こう言っていた。
「自分が強くなった理由があるとすれば、人より1本1本を大事に考えているところかもしれません。練習内容にしても、どうしてそうするのか、意味を考えてやっている」
決して天真爛漫ではない。だからこの優勝直後にケガをしてからの3年間は、身悶えていたはずだ。
東京五輪に目標を切り替えようとしたことも。
とくに'14年4月、ヒザを二度目にケガをしたときはオリンピックでメダルを獲るどころか、出場さえ危ぶまれ、絶望的な状況とさえ思われた。1年後に控える五輪出場権争いまでに、無事リハビリを終え、実戦感覚を取り戻すことが、果たしてできるのか――。
先が見えず、「目指すのは東京かな」と不安に襲われる日もあった。
そんな日々があったからこそ、奥原は今年5月、五輪代表発表記者会見で「ここに立っていることが奇跡」と泣いたのだ。そして手にした銅メダル――。難解すぎる方程式の答えに辿りついた瞬間だった。同時に次の課題も見えてきた。
「東京では、表彰台の一番上に立ちたい」
難問を解き明かすための思考の旅は、また始まる。