F1ピットストップBACK NUMBER
日本GPで最速レッドブル勢に肉薄!
グロージャンと小松礼雄の“雪辱”。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2013/10/14 12:00
表彰台の下でチームスタッフたちとグロージャンを見上げる小松。「2年目になって精神的に余裕ができたから」と、グロージャンの躍進を説明してくれた。
1年前の鈴鹿、彼はここで大切なものを失った。
ロマン・グロージャン――当時、26歳だったフランスとスイスの二重国籍を持つ青年は、予選4番手となった決勝レースのスタート直後の1コーナーで、マーク・ウェバーに追突。ベルギーGPでもスタート直後に多重クラッシュの原因を作ったとして1戦出場停止処分を受けた後に再び犯したミスに、非難が集中した。自信を失ったグロージャンは、昨季それまで3度表彰台に上がった実力までもが鳴りを潜めてしまい、その後は表彰台に上がることがなかった。
あれから、1年。精神面を強化するためにグロージャンは、ロータスのスタッフらと共にグランプリレースでさまざまなことにトライしてきた。それでも再び鈴鹿にやってきたグロージャンの心は、まだ曇っていた。それは取り戻しつつあった自信が、1週間前の韓国GPで揺らいでしまったからである。
韓国GPでプライドを傷つけられたグロージャン。
レース終盤のセーフティーカーランで2番手につけていたにもかかわらず、再スタート直前にコースをはみ出し、直後にロータスのチームメートであるキミ・ライコネンにオーバーテイクを許してしまった。
初優勝するチャンスを取り戻そうとしたグロージャンは、「失ったポジションを与えてくれるよう」チームへ無線を飛ばす。しかし、チームはグロージャンの要求を受け入れず、チームオーダーを出さなかった。結局グロージャンはライコネンに続いて3位でフィニッシュという結果に終わった。
プライドを傷つけられたグロージャンは表彰台でこそ笑顔を見せていたが、内心は穏やかではなかった。そんなグロージャンに、レース後、いつもそっと駆け寄るのがレースエンジニアの小松礼雄だった。
「韓国GPのあの状況(セーフティーカーが導入されたときに2人そろってピットインし、ニュータイヤに交換)で、ベッテルに対抗できるドライバーはグロージャンしかいなかった。ロマンには2位を獲得する権利があったと思う」(小松)