Column from EnglandBACK NUMBER
欧州サッカーは立ち上がれるか?
アンリが発起人となった人種差別反対運動の背景。
text by
山中忍Shinobu Yamanaka
photograph byGetty Images/AFLO
posted2005/02/22 00:00
“Stand Up, Speak Up(立ち上がれ、声を上げろ)”。アーセナルのティエリ・アンリが発起人となってスターとした、人種差別反対運動の名称である。ここには、罵声を浴びせられても試合中には何もできない選手たちに代わって、ファンの1人1人が人種差別反対の意思を表明して欲しいというメッセージが込められている。キャンペーン支持者の証は、ナイキ製の白黒2色のリストバンド。その売上金は、人種差別問題に関するリサーチや関連団体の活動費用に当てられるという。
直接のきっかけは、昨年11月にマドリッドで行われたスペイン対イングランドの国際親善試合にある。スペイン代表のルイス・アラゴネス監督は、アーセナル在籍のホセ・レジェスに「あの‘black shit’(アンリのこと)よりもお前の方が上だということを、イングランドの奴らに思い知らせてやれ」と発言。更に試合当日には、アシュリー・コール、ショーン・ライト=フィリップス、リオ・ファーディナンドらイングランドの黒人選手がボールを持つ度に、スタンドから猿の鳴き声を模した大合唱が沸き起こった。
レジェスは、「アラゴネスは僕に発破を掛けただけさ。ティエリ(アンリ)も、直後に再会した時には『やぁ、‘black shit’、調子はどうだい?』と冗談交じりに声をかけてくれた」と、大騒ぎするような問題ではないとアピールしたが、これは勘違いもいいところ。当のアンリは、この出来事をはるかに深刻に受け止めていた。
「好きな諺に、『許すことはできても忘れることはできない』というものがある。僕は、アラゴネスの言葉を忘れることなど絶対にできない。自分もスペインやギリシャで、相手ファンによる猿の鳴き真似に絶えながらプレーしなくてはならなかった経験があるが、あの辛さと腹立たしさは当事者にしか分からない」と、アンリは胸中を語っている。
イングランドも、こうした嘆かわしい行為と無縁ではない。7~8年前、私はチェルシー対アストン・ビラの試合を観戦しに行ってショックを受けたことがある。当時ビラに在籍していたドワイト・ヨークを、私の後列にいた男性ファンが「バナナが食いたいか?手よりも足を使う方が得意なんだろう?」と罵ったのだ。声の方向を見ながら悲しそうな笑みを浮かべていたヨークの表情は、いまだに忘れられない。
たしかに状況は改善されてきている。今日、イングランドのスタジアムで上記のような暴言を吐けば、スタンドからつまみ出され年間指定席やクラブのメンバーシップを剥奪されることになる。しかし問題の根は深い。昨シーズン、マンUやビラで監督を務めたこともあるロン・アトキンソンが、マルセル・デサイー(当時チェルシー)を“niggar”呼ばわりして、テレビ解説やコラムニストの職を失った一件は記憶に新しい。アラゴネスもアトキンソンも人種差別主義者などではないはずだが、偏見など持ってはいないはずの人間が、無意識のうちに人種差別的な行為をしてしまうことこそが問題なのだ。
今回のキャンペーンに関して言えば、被害者である選手が音頭を取らなければならなかったということ自体が、一般レベルにおける認識の足りなさを物語っているのではないだろうか。アンリと共にキャンペーン発足の記者会見に臨んだリオ・ファーディナンドは、こうコメントしている。
「深刻な問題であるにも拘わらず、当局が何も行動を起さなかったことが残念でならない。選手が立ち上がったことでファンも賛同してくれるだろうが、本来ならば当局が先に手を打っているべきだ」
問題発言のあったアラゴネスに対しては、40万円強の罰金が請求されたのみ。ベルナベウでのファンの人種差別行為に関しても、UEFAがスペインFAへ約900万円の罰金を課したに止まっている。イングランドFAはと言えば、代表歴代名選手の映像を集めたDVD(黒人選手が1人も含まれていない)の改訂版に、ようやく着手するというお粗末さ加減だ。
人種差別撲滅への道のりは長い。ナイキ社が協賛するこのキャンペーンが、マーケティング寄りの一過性のものではなく、息の長いものとなることを心から祈りたい。