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真っ向勝負の首位打者争い。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

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posted2008/10/24 00:00

 今年のパ・リーグの首位打者争いは、久々に面白かった。

 最終的にはゴールデンイーグルスのリック・ショートが3割3分2厘でタイトルを取ったが、ライオンズの中島裕之にも最終戦で3打数2安打か5打数3安打すれば逆転の可能性があった。そして、あろうことか、ライオンズの最終戦の相手はリックを擁するゴールデンイーグルスだったのである。

 こういうことになった場合、日本のプロ野球でおこなわれることは決まっている。両者は決して戦わない。打率が上位にある打者は試合に出場せず、ライバルは四球で歩かせて打たせないのである。

 それで史上もっとも有名なのは、1982年の大洋ホエールズの長崎啓二(3割5分1厘)と、ドラゴンズの田尾安志(3割5分)の争いだ。

 この試合には、じつはそれ以上に重要なものがかかっていた。ホエールズが負ければ相手のドラゴンズが優勝、逆に勝てばすでに全日程を終えていたジャイアンツが優勝するという一戦だったのである。

 ところが、リーグ優勝のかかったこの一戦で、ホエールズの関根潤三監督は勝つ努力を放棄した。チームでもっとも頼りになる首位打者の長崎を休ませ、ドラゴンズ主力の田尾をすべて敬遠して5打席とも出塁させたのである。そのうちの2度は一塁にランナーがいるときだったから、ドラゴンズは待ってましたとばかりにそのチャンスをものにした。結果は8対0。ドラゴンズの圧勝だった。つまり、関根監督は、長崎の首位打者と引き替えに、ドラゴンズに優勝をプレゼントしたのである。白昼堂々と野球協約が禁じる敗退行為をおこなったといっていい。

 1975年にも信じられないようなことがおこなわれた。このときの主人公はカープの山本浩二(3割1分9厘)とドラゴンズの井上弘昭(3割1分8厘)だった。舞台は両チーム同士の最終戦。山本は当然のごとく欠場。井上は先発しても敬遠されると分かっているので、敬遠できない場面で代打で出る作戦を取った。そして3回表、ドラゴンズは無死満塁という絶好の場面をつくった。このときを待っていた井上は勇躍打席にはいった。ところが、カープの古葉竹識監督がピッチャーに指示したのは敬遠だった。この敬遠は、いまも公式戦初の満塁敬遠の愚挙として数々の記録ブックに記されている。

 さて、話は前に戻って、リックと中島の首位打者争いだが、ゴールデンイーグルスの野村克也監督はリックを欠場させた(リックはこの試合のだいぶ前に左足首を痛めていて、以後の試合はほとんど代打でしか出ていなかった)。しかし、中島を敬遠したりはしなかった。ピッチャーに5打席すべて勝負させたのである。結果は5打数2安打で3割3分1厘。リックに1厘及ばなかった。

 しかし、中島は試合のあとで満足そうに笑っていった。

 「勝負してくれてうれしかった」

 また、勝負したピッチャーたちも、いかにチームメイトのためとはいえ、満座の中で敬遠させられるよりずっと充実した気持ちを味わったのではあるまいか。プロ野球はこうでなければいけない。

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