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アウトサイダーの原点。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byMasato Daito

posted2008/10/23 20:57

アウトサイダーの原点。<Number Web> photograph by Masato Daito

 '90年4月10日。急遽、野茂英雄の初先発が決まった西武ライオンズ戦。近鉄沿線の各駅には「本日、野茂先発」のお知らせが張り出され、ファンの公募で決まった「トルネード投法」の文字が横に大きく書かれていた。藤井寺駅から球場までの沿道には長蛇の列ができ、トルネード投法をひと目見ようと、2万3000人のファンが押しかけ、ダフ屋が出る始末だった。

 近鉄バファローズの仰木彬監督は開幕前から「西武戦初戦の先発は山崎慎太郎。野茂はプレッシャーのかかる初戦ではなく、第2戦目以降に先発させる」と公言していた。ところが、山崎が風疹にかかってしまった。そのため野茂に西武戦初戦先発ピッチャーという大役が廻ってきたのだった。

 しかしオープン戦の野茂は、決して満足できる結果を残していなかった。5試合に登板して、3勝1敗ながら、防御率は5.00と褒められた数字ではなかった。だが仰木は野茂の若さと話題性に賭けたのである。

 ダイエーとの開幕戦に9対8で勝利した近鉄は、宿敵・西武を一気に叩いて連覇を狙う弾みにしたいという思惑もあった。当時の西武の監督は、森祇晶。就任以来3年連続で日本一を達成した名将は、前年に近鉄に4連覇を阻止されたこともあり、「近鉄だけには負けられない」という思いも強かった。そこに、ドラフト8球団競合で入った大物ルーキー・野茂英雄である。パ・リーグの盟主として1年目のルーキーに負けるわけにいかなかった。そこで野茂を分析するためにキャンプ、そしてオープン戦に3人のスコアラーが派遣されていた。そのうちの1人が豊倉孝治(現・ソフトバンクスコアラー)だった。

 豊倉には近鉄に対して、苦い思い出があった。近鉄と優勝を争っていた前年の終盤、自らの指示が裏目に出て近鉄・ブライアントに3打席連続ホームランを打たれたのだ。

 その時の豊倉の指示はブライアントを攻めるなら高めのストレート、だった。豊倉は「あの配球は間違いではない」と今でもキッパリと言っている。事実、3本目のホームランを打たれた渡辺久信(現・西武監督)は、それまでの21回の対戦で、18打数4安打。2割2分2厘、奪三振7個、本塁打0本とほとんど打たれていなかった。

 だからこそ、「高めのストレートは大丈夫」と自信を持って指示を出していたのだ。ところが、中1日で登板した疲れからか、ふだんの球のキレではなかった。結局、ブライアントに決勝ホームランを許し、続くダブルヘッダーも敗北。西武は4連覇を逃してしまったのである。

 森監督に叱責された豊倉は、鳴り物入りの新人の分析に汚名返上とばかりに燃えていた。「当時は野茂のトルネード投法が夢にも出て来た」と言うほど、野茂の投球分析にひとり、延岡に泊まり込み力を注いでいた。

 そんな豊倉が出した結論は、コントロールの悪い野茂に対して徹底した「待球主義」で臨むというものだった。

 「ツーストライクに追い込まれても、フォークに手を出すな。必ずボールになる。そして初球からあわてて手を出すな。制球力が悪いから、ボールになることが多い」

 と、じっくりボールを見るように、西武の打者に指示をしたのだ。キャンプ、オープン戦を通じて露呈した制球力不足を見て、球数を増やして後半に勝負をかける作戦に決めたのである。

 当時の西武は、前年こそ、リーグ制覇を逃したものの錚々たるメンバーが揃っていた。

 1番辻発彦(現・中日二軍監督)2番平野謙(現・日ハム打撃コーチ)3番・秋山幸二(現・ソフトバンク監督)4番・清原和博、5番・デストラーデ、6番・石毛宏典(元オリックス監督)7番・吉竹春樹(現・阪神外野守備コーチ)8番・伊東勤(前・西武監督)9番・田辺徳雄(現・西武二軍守備コーチ)という面々が黄金時代を築き上げていた。

 さすがの野茂も初登板前には、「緊張していた」という。そして、西武はスコアラーの指示通りじっくり野茂のボールを見極める作戦で試合に臨んだのである。

欠点を見抜いていた西武のインテリジェンス。

 野茂が先頭打者の辻に初めて投げたボールは143キロのストレートだった。

 野茂は排気量の多い大型車のようにエンジンのかかりが遅い、と近鉄の同僚・阿波野秀幸は指摘していたが、その通り、立ち上がりから制球に苦しんだ。

 先頭の辻をフォアボールで歩かせると、続く平野のバントをわざとワンバウンドさせて併殺を狙いにいったが、ファンブルしてしまいノーアウト一、二塁とピンチを広げた。続く、秋山にも1-3からフォアボールを出した。いきなりノーアウト満塁で4番・清原和博という大ピンチを招いてしまったのだ。

 並みの新人ならば動揺し、そのまま大量点を与え崩れてしまう。なにしろ、地元の開幕カードで、初先発でノーアウト満塁の場面である。緊張するなと言うほうが無理である。

 だが、野茂は違っていた。フォアボールでランナーを出そうが満塁にしようが、ホームベースさえ踏まれなければいいという思いでマウンドに立っていたのである。

 4番清原を迎えたところで、この試合初めてのフォークボールでカウントを整え、2-1と追い込んでいる。

 「野茂はフォークを絶対に投げない。アイツは必ずストレートで勝負をしてくる」

 清原はストレート1本に的を絞り、実際に野茂はストレートを投げた。球速は139キロだったが、思った以上に伸びがあり、清原のバットはあっけなく空を切った。プロ入り最初の三振を清原から奪ったのである。

 清原は次のように初対決を振り返っている。

 「ぼくがプロで初めて打席に立ったときのことを考えていたんです。自分は開幕2試合目の終盤気楽な場面で使ってもらった。夢中でバットを振ったら、ホームランだった。それで気が楽になって、次もツーベースが打てたんですけど、野茂を見てたら何や気の毒で。フォアボール出して、バント処理ミスって、またフォアボールですよね。ストライクが入らないんですから。球が荒れたから見ていきたいと言うのと同時に、どっかで同情みたいのがあったと思う。それでボール球を振ってしまった。でもストレートで押してきたし、いい根性してるなと思いましたね」

 社会人・新日鐵堺時代の同僚の1人は野茂のピッチングをこう説明する。

 「社会人のときもそうでした。四球でランナーを出して満塁にする。でもそこから粘って0点に抑えるのが野茂。最初のうちは『頑張れ』なんて、野茂のことを心配していましたが、そのうち『自分の責任だから好きなようにしろ』って思っていると必ず抑える。都市対抗の大阪第3代表決定戦の時もいきなり、無死満塁からのスタートじゃなかったですかね。最後の方はフォアボールを出しても、満塁にしても誰も何も言わなかった」

 野茂英雄の真骨頂はまさにここから始まった。5番・デストラーデにこそ犠牲フライを打たれ先制点を奪われたものの、続く6番・石毛のフォアボールの後、7番吉竹を2-2からストレートで見送りの三振に仕留め、満塁のピンチを切り抜けるのだった。

 2回以降も制球の定まらない野茂に対して、西武はボールをよく見ながら粘り強く攻めたてた。2回に21球、3回も29球、5回には清原1人に12球も投げ、清原に対して初めてヒットを許している。キャッチャーの光山が「変に逃げたくなかったから」と要求した外角ストレートを見事センター前に運んだのである。清原は言う。

 「全部ストレートでした。バットに当てるのが精一杯やった。三振だけはしたくなかったし、強気な男だなと思った。で、2-3になった時、ミートに切り替えたんです」

 5回を終わって、その球数は122球にも及んでいた。初登板の疲労感、緊張も尋常ではなかっただろう。西武のスコアラー・豊倉の読み通り6回に辻に適時打を打たれるなどして降板した。7安打、7四球、5失点、7奪三振のほろ苦い初先発となった。ただし、評判は悪いものではなかった。

 「ピンチになって、三振を取れるのはいい投手である証拠」と敵将・森が評価すれば、自軍の仰木は「ローテーションに入ってもらうメドが立った」と四球を出しながらも、得点を許さないピッチングを認めていた。

(以下、Number714号へ)

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