Column from Holland & BelgiumBACK NUMBER
オランダの暴動で見えたモノ。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2004/11/24 00:00
きっかけは、アムステルダムの路上で起こった、ある映画監督の殺人事件だった。
11月2日、イスラム教徒を批判的に描いていたテオ・ファン・ゴッホ監督が、路上でモロッコ系移民の男にナイフで刺されて死亡。殺害現場にはコーランの切れ端が残されており、完全な計画殺人だった。この監督は画家ゴッホの末裔だったこともあり、オランダ中に衝撃が走った。オランダの一部の市民は激怒し、その矛先は罪のないイスラム教徒にまで向けられることになる。暴動の始まりであった。
オランダ各地のイスラム系の施設が襲撃を受け、小学校でさえも放火の対象になった。モスクが火の中に沈み、モロッコ系移民が暴行を受けた。モロッコ人の父を持つオランダ代表DFのボラルーズ(ハンブルガーSV)は言う。
「TVで暴動を見たとき、言葉では表せないほどのショックを受けた。今まで生きてきて、自分が人種的に迫害されたことなど、1度もなかったのに……。今自分はドイツのハンブルグにいるので、すぐにアムステルダムに住む親と兄弟に電話した。家族をドイツに呼び寄せるしかないのかもしれない」
モロッコからの移民を受け入れてきたオランダには、多くのモロッコ人とその2世たちが住んでいる。選手で例をあげればボラルーズの他に、ブカリ(アヤックス)、エルカタビ(AZ)、エルアマディ(トゥベンテ)らがいて、オランダの新聞ではイスラム教のラマダンの時期になると、“断食選手リスト”を発表するほどだ。モロッコ系移民はオランダの社会の一部になっているはずだったのだが……。
オランダでの民族問題を語るときには、よくオランダ代表FWのファン・ホーイドンクが例にあがることが多い。彼は黒人ながら裕福な白人家庭で育ち、身につけている文化や習慣は普通の白人と言っていい。だからこそ、オランダ代表でも前所属のフェイエノールトでも、白人選手と親友になれた。だが、もし彼が黒人家庭で育っていたら、おそらく今のようにオランダ人とスリナム系のパイプ役になることはなかっただろう。オランダでは、肌の色という以前に、育った社会的階層が違うことにより、民族に壁ができてしまっている。モロッコ系移民も決して裕福ではなく、ボラルーズは8人の兄弟たちと3部屋に住み、洗濯代がもったいないという理由で親から外出を禁止されていたほどだ。経済レベルがあまりにも違うことで、子供のときから他民族と交じり合う機会そのものが失われている。
この暴動はオランダ警察の必死の働きで沈静化しつつあるが、両民族の間に大きなしこりが残ってしまった。こんなときだからこそ、オランダ代表では白人、黒人、モロッコ人に関わらず人種の壁を越え、W杯予戦で見事なチームワークを見せることを期待したい。