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あの“ザウス”から五輪選手誕生!
男子モーグルに見るお金とインフラ。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byGetty Images
posted2010/02/15 15:30
いやはや、男女のモーグルが壮絶な戦いで、文句なしに面白かった。競技レベルが格段に上がっているからだ。
もともと実施競技が少なかった冬季五輪は、1990年代以降、拡大路線を取っている。採用に当たってはテレビ的な見栄えが重視され、スノーボードや今大会から正式種目になったスキークロスなど、いわゆるアメリカのスポーツ専門局ESPNが仕掛けた「エクストリーム系」がメインストリームになろうとしている。
当初、五輪のストイシズムとの相性はどうかと思っていたが、モーグルは完全にアスリート同士のすさまじい戦いの場となっていた。
女子では上村愛子がとにかく残念。しかしメダルを獲得したアメリカ、カナダの3選手のパワフルな滑りは、モーグルが本格的に身体能力の高さを競い始めたことを実感させた。
男子の戦いはさらにダイナミック。パワーと技術、そしてエアでの大胆なパフォーマンスが要求され、まさに「選ばれし者たち」の戦いという印象を強くした。
これからモーグルは、どんどん進化していくのは間違いない。正直、これから日本は苦戦を強いられると思う。
モーグル競技を観て、スポーツ・インフラの重要性を再認識。
モーグルを2日間見て、改めて大切だと思ったのは「インフラストラクチャー」の整備である。
この場合のインフラとは、スキー場や競技を続けるために必要な環境のことを指す。
人はどこに生まれたかによって、プレーするスポーツが違ってくる。上村愛子は長野・白馬村で育っていなかったら、今ごろは違うスポーツに取り組んでいたかもしれない。スキーの盛んな白馬という土壌が上村を育てた。
男子で19歳ながら、7位入賞と健闘を見せた遠藤尚は(素晴らしい滑りだった!)、世界選手権の開催地だった福島・猪苗代の出身である。
そして面白いと思ったのは、9位に入った西伸幸と、予選通過はならなかったが勇気ある滑りを見せた尾崎快は、スキーを始めたのが「ザウス」ということだ。
バブルの申し子“ザウス”の存在意義が証明された?
ザウスは1993年から2002年まで、千葉県の船橋市で営業していた当時としては世界最大の屋内スキー場だった。首都圏でありながら年中スキーを楽しめる施設が日本には存在したのだ。
実は、私は広告代理店に勤務していた時代、このザウスのプロモーションにほんのちょっとだけ関わったことがあった。今日的な視点から見れば、いかにもバブル期に計画されたプロジェクトという感じもするが、スキーのインフラという点で見ればザウスが存在したことは大きかったのだ。