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及川佑 悔いなき第4位。 

text by

折山淑美

折山淑美Toshimi Oriyama

PROFILE

posted2006/03/09 00:00

 「あまり悔しさはないですね。自分自身が精一杯やった結果として、4位という成績をもらえたのが嬉しくて。ただ友だちから『惜しかったね』と言われると、何とかメダルを獲ってみんなに見せてあげたかったな、と思うことはありますけど」

 男子500mのレースから3日後、選手村で会った及川は相変わらずの穏やかな笑顔を見せた。カメラを向けられると「取材はあまり受けてないから」と照れ臭そうに笑う。

 「悔しかったのは、2本目、100mの通過で中国の于鳳桐に0秒03負けたことですね。100mだけは絶対に負けたくないというのがあったし、前日に岡崎(朋美)さんと会った時も『100mは2本ともトップ通過して、流れをつくって岡崎さんにつなぎます』って言ってたんです。1本目はトップを取ったけど、2本目でやられたので、終わってから『すみません』って(笑)」

 日本人トップになれば表彰台に上がれると思っていたし、実際、その座を狙って臨んでいた。だがいざトップに立ってみると、メダルはなく、誰に勝ったという感覚もなかった。

 「実力でいえば、まだ(加藤)条治や清水(宏保)さんの方が上。たまたま五輪で勝っただけです。トリノへ入って最初のスタート練習で、感覚がすごく良かったんですよ。W杯の前半戦はその感覚を忘れていたというか、1歩目の足が出ないくらいになっていて『やばいぞ』という状態だったんです。でも12月になって、W杯でトリノへきた時に『この感覚だな』と思い出していて……。『やっぱりこのリンクはスタートしやすい、いけるぞ』と本番に向けて自信を持てたんです」

 及川はスタート練習をする時には、まだ誰もリンクへ来ていない時間を選ぶ。そこで1歩目のスケートの跡が、いい角度で付いているかどうかを確認する。

 「1歩目がいい時は、2歩目、3歩目の伸びが違うんです。そこで低い姿勢を取れて100mを通過したら、残りの400mもそのままの姿勢でいけるんですね。僕の場合、最初がダメだと最後までダメなんですよ」

 及川が100mの通過にこだわるようになったのは、小学生の時にコーチをしてくれた父親の「短所は長所で補え」という言葉がきっかけだった。コーナーや後半で失速するのなら、親からもらったダッシュ力を活かして、100mをもっと速くしようと思ったのだ。

 「考えてみたら、小学生の頃の練習が一番きつかったですね。父親は草野球をやっていたんですが、社会人になってからのめり込んで。毎晩鉄のバットを振ったり、朝起き抜けに腹筋を始めるような、妥協を許さない人だったんです。だから僕も、朝起きたら腕立て伏せと腹筋、背筋、スクワットを50回ずつやってから朝飯という日課でした。『何でこんなことを』と思っても、怖くて反抗できなかったし……(笑)」

 肝心のスケートでは、身長が低かったせいかなかなか勝てなかった。もっと背が高ければ勝てるのにと言う及川に、父親は「体が小さいことを言い訳にするな、人の2倍3倍やれば絶対に勝てるようになる」と言い続けた。

 「そんな頃ですね、当時高校3年生の清水(宏保)さんが日本で初めて36秒台を出した記事を見て、スゲエなって思ったんです。体が小さくても結果を出せるんだ、小さいことを言い訳にできないぞって。決定的だったのは高2の時の長野五輪。高校へ入った頃は160cmもなかったけど、自分が勝てないのは小さいからじゃないと思いました」

 山梨学院大に入ってもなかなか結果を出せなかったが、4年生になってようやく目標としていたインカレ優勝を成し遂げた。インカレで優勝したら引退しよう、そう思っていたが、いざ初めて記者に囲まれてみるとその感動の大きさに、とてもスケートをやめられないと感じた。W杯や五輪というより、「もう少し記録を伸ばせるのでは」という気持ちが芽生えたのだ。

 「でも競技を続ける環境がないようだったら、親にも迷惑をかけられないから諦めようと思っていたんです。北海道で普通の就職を探そうと就職センターへ行ったら、そこの部長が今の会社の人事部長につてがあって、『インカレで優勝した学生がいるんだけど』と相談してくれて。その人が社長に話したら二つ返事でオッケーが出たんです」

 会社へ挨拶に行くと、偶然社長の時間が空いていた。部長が「(及川は)トリノ五輪を目指してるんです」と紹介すると、社長は「それまで自由にやりなさい」と言ってくれた。

 「しまったな、大見得切っちゃったな、と思いました(笑)。全日本で成績も出してないのに、そんなこと言っちゃっていいのかなって。でもプレッシャーはあったけど、1年目の全日本距離別で1本目は清水さんに勝って2位になり、初めてW杯にも行けたんで……」

 1本目は35秒35。2本目は35秒21。4年に一度しかない五輪で、2本とも満足いく滑りができた及川は、ただその喜びに浸っていた。だが最終組が始まる前、自分がまだ2位につけていることに気がつく。

 「1本目、韓国の李には負けてたけど、0秒01差だからいけるかもと思ったんです。でも相手も速かったですね。自分より強い人がいることはわかっているし、五輪で4位になっても世界で4位になったとは思っていない。やっぱり基本は100mですよ。まだまだ直すところもあるし。そこが出来てからじゃないと、次も見えてきませんから」

 全盛期の清水に匹敵する、100mの通過タイムが次の目標だ。父親からは「社会人になれば強くなるから我慢しろ」と言われてきた。その通りにコツコツ努力をして五輪4位まできた。そんなスタイルは、滑りを完成させる面でも同じかもしれない。そういうと、及川は、納得するような笑顔を見せた。

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