博多の人・王貞治BACK NUMBER
「おい、ノーヒットだぞ?」落合博満より前にダイエー王貞治が決断していた“日本シリーズで無安打投手交代”…「個人記録は関係ないんだ」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/07 06:03
1999年、王ダイエーは日本シリーズで中日と激突した。王は勝利のためだけに次々と勝負手を打つ
しかし、尾花も「あの継投? 予定通りですよ」。
事前の下馬評を吹っ飛ばしての4勝1敗。王ダイエーは、初の日本一にも辿り着いた。
連覇は初優勝より100倍難しい
名古屋での祝勝会を終え、勝利の余韻に浸るナインを前に、王はあえて、マネジャーに向かって、大声で“確認”したことがあった。
ADVERTISEMENT
「おい、練習はいつからだ?」
城島は、その“王のメッセージ”に、心が引き締まったのだという。
「君たちは優勝したんだから、もうプロとしては止まっちゃいけないぞ。来年からはみんな、打倒ホークスでくるんだぞ、ということをすぐに言うわけですよ。V9の王貞治は常にそれを、毎年やっていたわけじゃないですか。55本塁打を打ったときも、その次の年のベースは、55本からスタートするんだから、56本を打つためには、今のままじゃダメだってことですよ」
連覇は、初優勝よりも100倍、難しいんだ。
「そりゃ、だってもう、勝ったのは終わっちゃったことなんだから。終わったことは、どうってことない。もう変えようがない。もう終わったんだよ。日本シリーズ、勝ったことで終わっているんだから、我々がやることはもう、次の年はどうか、なんだよ」(王)
思いもよらぬ一報が……
5年契約の5年目で掴んだ初優勝と日本一。王ダイエーの、また“新たなる戦い”が、始まろうとしていたその時、思いも寄らぬ“衝撃の報”に、王が絶句した。
「プロ野球の世界にいるような元気な人が、命のかかる病気になるなんて……。ありえないよ」
王ダイエーの躍進を支えてきた中継ぎエース・藤井将雄が、日本シリーズ後に受けた精密検査で「余命半年」ともいわれる“病魔”に襲われていたことが判明したのだ——。
〈つづく/次回掲載をお楽しみに〉


