博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もし優勝できなければ、パ・リーグは終わりだった」1999年王貞治ダイエーがつかんだ“ラストチャンス”の意味「もう1リーグ制やろな、と」
posted2026/08/07 06:02
ダイエー11年目にしてついに初優勝。だがもしも王がこのチャンスをつかんでいなければ……
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
KYODO
1995年シーズン、福岡ダイエーホークスの監督に就任して以来30年以上。王貞治の博多での野球人生は、もはやジャイアンツでのそれよりも長くなった。今や常勝軍団となったホークスだが、ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。1999年、ついに優勝を果たした王ダイエー。男たちの胸をよぎった様々な感慨、そして球界への影響とは。〈連載「博多の人・王貞治」第19回/つづきを読む〉
1999年、本格的な夏を迎えようとしていた頃、王ダイエーに試練が訪れていた。
6月25日から7月3日まで7連敗、1つ白星を挟んで、7月6、7日に連敗と、10試合で1勝9敗。七夕の日に、59日間守ってきた首位を明け渡した。
「ホークスは『五木の子守唄』やもんな」
ADVERTISEMENT
それが、博多での“定説”でもあった。その心は「盆からさーきゃ、おらんど」。夏場以降になると、選手の体力不足なのか、チーム力の欠如なのか。糸の切れた凧のごとく、制御力を失い、首位から離れていくのが常だった。
博多の街に高まる期待
しかし、99年は違った。7月9日に再び首位に立つと、球宴前の前半戦折り返しは、2位西武に5ゲーム差をつけての単独首位。球宴明けの7月31日からの1カ月を16勝9敗で突っ走り、8月31日に王ダイエーとしては初となる優勝マジック「20」が点灯した。
福岡を本拠地とした西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が最後に優勝したのは1963年のこと。その“36年ぶりの悲願”に向かってひた走るホークスをまるで後押しするかのごとく、博多の街中に、来るべき歓喜の時への大きな期待と情熱が高まっていくのを、城島健司はひしひしと感じていたという。
「もう、あれ、たまらんかったですよ」
遠征から新幹線で帰ってくるとJR博多駅の改札前が、空路での帰福だと福岡空港の到着口が、いつも鈴なりのファンで埋め尽くされていた。

