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「父が殺人事件を犯して…」巨人で活躍“ロシア出身の天才投手”スタルヒンとは何者だったのか? 生で見た人の証言「投球はダルビッシュに似ている」
text by

太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2025/09/07 11:01
かつて日本のプロ野球で活躍したスタルヒン。シーズン42勝というプロ野球タイ記録を持つ(1936年撮影)
【菅野】登板25、完投6、完封4、勝敗17-5、勝率.773、投球回187.1、被安打129、与四球31、奪三振171、防御率1.59、WHIP0.85
【スタ】登板24、完投17、完封7、勝敗19-2、勝率.905、投球回197.2、被安打111、与四球59、奪三振146、防御率1.05、WHIP0.86
1938年の秋季シーズンのゲーム数は40。それでいて、スタルヒンの登板数、投球回などが、菅野の1年の数字とほぼ互角という点が時代を感じさせるが、成績そのものは拮抗した好勝負になっている。
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1試合当たりの被安打数は、菅野の6.2本に対して、スタルヒン5.1本。奪三振率は、菅野8.22に対して、スタルヒン6.65で、1勝1敗。WHIPは、菅野0.85に対してスタルヒン0.86と、ごくわずかだが菅野リード。この数字に貢献している菅野の1試合当たりの与四球数1.49は驚異的である。
防御率ではスタルヒンが勝っているが、一桁の本塁打数で本塁打王になることが多かった戦前の打者の力と現在の打力を考えれば、打者圧倒度的には、ほぼ互角と言えるのではないか。
時代が違い過ぎるので、菅野vsスタルヒンは、参考対決として勝敗はつけない。
車の事故で…スタルヒンの最期
27歳で戦死して、63勝22敗の生涯成績しか残せなかった沢村に対して、スタルヒンは1936年から55年までという長いシーズンを戦って303勝176敗という通算成績を残した。通算完封数83、シーズン42勝は、おそらく今後破られることのない日本記録だ。
スタルヒンは、プロ野球で功績をあげて日本国籍を取得することを生涯の目標にしていたとされるが、ついに果たせなかった。ロシアにも日本にも国籍を持てなかったスタルヒンにとって、野球だけが自分の存在を証明する場だったのかもしれない。
プロ野球を引退して約1年後――1957年1月、スタルヒンは自ら運転する車の不可解な事故で、40年の数奇な生涯を終えた。
