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「野村克也がここまで言うとは…」菅野智之の“意外な評価”…入団拒否、巨人で無双、メジャーで活躍「じつは大学時代157キロ投げていた」菅野の半生
posted2025/06/20 06:00

プロ1年目の菅野智之(2013年撮影)。35歳の現在は米・オリオールズでプレー
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太田俊明Toshiaki Ota
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JIJI PRESS
菅野智之は巨人ひとすじに12年。その間、最優秀選手賞3回(投手としては史上最多タイ)、沢村賞2回(連続年受賞は史上5人目)、最優秀防御率4回(セ・リーグ最多記録)、最多勝利4回、最高勝率2回、最多奪三振2回など、球史に燦然と輝く好成績をあげているが、なぜか同年代のダルビッシュ有や田中将大に比べて“抜きんでた力を持つ絶対エース”という印象が薄かったし、メジャーから熱視線を浴びることもなかった。
それは、菅野の強みが、ダルビッシュの「剛速球+多彩な変化球」、田中の「剛速球+切れ味鋭いスプリット」といった一目瞭然のものでなく、「投球の巧みさ」という伝わりにくいものだったからだろう。データ全盛のいま、ストレートや変化球の威力は、球速、回転数、縦横の変化量などのデータによって可視化され、メジャーの投手との比較から「メジャーでも十分通用する」といった評価につながりやすい。ところが、「投球の巧みさ」というのは、打者との駆け引きという相対的なものなので、果たしてメジャーの打者に通用するのか、想像しがたい部分があった。
甲子園出場ゼロ、大学で“覚醒”
菅野は神奈川県相模原市に生まれ、東海大相模の高名な監督だった原貢を祖父に、巨人軍の監督を務めた原辰徳を伯父に持つというサラブレッドだった。東海大相模時代は、肩の故障などもあって甲子園に出場できず、東海大学に進学して才能が開花した。
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大学3年時の第59回全日本大学野球選手権。準々決勝の同志社大戦で、7回無安打無失点10奪三振で7回コールドの参考記録ながらノーヒットノーランを達成。続く準決勝の慶応大戦は9回完封17奪三振と圧倒的な力を見せた。
同じ年に開催された第5回世界大学野球選手権大会のキューバ戦で、自己最速の157キロを記録。185センチという恵まれた体格もあって、大学屈指の本格派としてプロからも注目される存在にまで成長した。