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「父が殺人事件を犯して…」巨人で活躍“ロシア出身の天才投手”スタルヒンとは何者だったのか? 生で見た人の証言「投球はダルビッシュに似ている」
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太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2025/09/07 11:01
かつて日本のプロ野球で活躍したスタルヒン。シーズン42勝というプロ野球タイ記録を持つ(1936年撮影)
スパイ容疑をかけられて…戦前は追放も
1939年のノモンハン事件などで日本とソ連の関係が急速に悪化したことから、ロシア出身のスタルヒンは軍部からソ連のスパイの疑いをかけられ、日本への忠誠心を示すために「須田博」と登録名を変えることを余儀なくされた。
さらに、1941年のシーズン中に肋膜炎を患って高熱を発し、一時は生死の境をさまよった。42年には回復して復帰したものの、43年のシーズン中に再発。44年には、戦争の激化から軍部の指示により軽井沢に軟禁され、プロ野球界から事実上追放された。
戦後は、剛速球は影を潜めたものの技巧派への変身に成功し、巨人軍時代に監督として親身になって世話をしてくれた藤本定義を慕って、藤本が監督を務めるパシフィック、金星スターズといった弱小球団を渡り歩き、最後のシーズンとなった55年に、プロ野球史上初となる通算300勝を達成した。
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さて、当企画の現チャンピオン菅野智之とのベストシーズン対決だが、戦前に全盛期を迎えたスタルヒンと、現役の菅野とでは、あまりに条件が違いすぎる。そこで、まずは同学年のライバルだった沢村栄治のベストシーズンと比較してみよう。
沢村栄治と成績比較…どちらが凄かった?
スタルヒンのベストシーズンは、投手5冠を達成した1938年秋。沢村のベストシーズンは、同じく投手5冠に輝いた1937年の春になる(当時は春秋の年2シーズン制)。プロ野球黎明期における2大投手の対決だ。(赤字はリーグ最高、太字は生涯自己最高)
【沢村】登板30、完投24、完封7、勝敗24-4、勝率.857、投球回244、被安打138、与四球68、奪三振196、防御率0.81、WHIP0.84
【スタ】登板24、完投17、完封7、勝敗19-2、勝率.905、投球回197.2、被安打111、与四球59、奪三振146、防御率1.05、WHIP0.86
当企画で重視する“打者圧倒度”を見てみよう。1試合当たりの被安打数は、沢村の5.1本に対して、スタルヒンもぴったり同じ5.1本。奪三振率は、沢村7.22に対して、スタルヒン6.65と、これは沢村がリード。
投手5冠の項目を比較しても、沢村が勝利数、奪三振数、防御率で勝っており、完封数はタイ。スタルヒンが勝っているのは勝率のみとなっている。さすがは“伝説の投手”沢村である。相手が悪かった……。
参考までに、菅野のベストシーズン(2017年)の数字とも比較してみよう。(赤字はリーグ最高、太字は生涯自己最高)

