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「父が殺人事件を犯して…」巨人で活躍“ロシア出身の天才投手”スタルヒンとは何者だったのか? 生で見た人の証言「投球はダルビッシュに似ている」
text by

太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2025/09/07 11:01
かつて日本のプロ野球で活躍したスタルヒン。シーズン42勝というプロ野球タイ記録を持つ(1936年撮影)
ベーブ・ルースらと対戦していた
ベーブ・ルースの2本の本塁打を含めて7回までに23得点と猛威を振るっていた全米打線に対して、18歳のスタルヒンは、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグら主力打者と対峙しながら1回を無安打無失点に抑え、プロ野球投手として上々のスタートを切った。
160cm台の小柄な選手が多かった全日本チームに突如現れたスタルヒン。当時アメリカでも巨漢と言われていたベーブ・ルース(188cm)よりも大きい白人の青年投手(191cm)の剛球は、全米チームを驚かせたに違いない。
その後、日米野球を戦った全日本チームが母体となって東京巨人軍が誕生し、大阪タイガースなども続いて日本のプロ野球リーグがスタートする。そして、同学年の大エースだった沢村栄治が20歳で徴兵された後に、巨人軍、そして日本プロ野球を支えたのがスタルヒンだった。
シーズン42勝…生で見た人の証言
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1937年、1938年は春と秋の2シーズン制にわかれており、スタルヒンは37年秋季リーグで15勝を記録すると、38年春季、秋季、39年、40年と5季連続で最多勝を獲得。38年秋季は投手5冠、39年は今もプロ野球記録として残るシーズン42勝、40年も38勝と、この時期がスタルヒンの全盛期と言えるだろう。
スタルヒンの投球を実際に見た当時のプロ野球人はこう評している。
「上背があり、しなやかな投球は、ダルビッシュに似ている」関根潤三・元巨人ほか(『プロ野球ヒーロー 伝説の真実』小野俊哉著/扶桑社新書)
「球の速いのなんの。投手-捕手間の18.44メートルの距離が間違っているのではないかと思われるほどアッという間に通り過ぎてしまった。(中略)おまけに外角低めへのコントロールが実によかった。これでは打てというほうが無理であった。先発投手の発表でスタルヒンと知ると『今日はもうあかん』と試合前にすでに完封負けを覚悟していたものである。それほど、スタルヒンとはすごい投手であった」別所毅彦・元南海ほか(『ロシアから来たエース』ナターシャ・スタルヒン著/PHP研究所)
しかし、スタルヒンの野球人生は順風満帆とはいかなかった。

