革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「態度悪いですよね。でも…」“胴上げに背を向けた男”吉井理人の感情の激しさを鈴木啓示は認めなかった「監督と選手の心の絆が薄れていた」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2025/06/13 11:08
1993年、プロ初完封をマークした吉井(右)を称える鈴木啓示監督。だがワンマン体制のもと、選手と監督の心の距離は離れていった
ただ、それが「組織の秩序」だと言ってしまえば、そうなのかもしれない。
現場のヒエラルキーとして、頂点に監督がいて、その下にヘッドコーチ、さらに各担当コーチ、選手がいるという命令系統になる。だから監督の意は、コーチを通じて選手に下りてくる。しかし、野球というのは『人』がやるのだ。その感情が、グラウンド上でのパフォーマンスにも必ず影響する。だから、心の機微をつかみ、選手の気持ちを乗せ、100%の力を発揮させる。その環境づくりが、監督の重要な役割でもある。
そこにはやはり、監督と選手との『心の絆』が必要なのだ。だからこそ、阿波野も指摘した、当時の“鈴木を取り巻く状況”に、うなずかされるものがあった。
鈴木さんは近鉄の歴史のシンボルだったから
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「近鉄にとって、鈴木さんっていうのは、歴史の中ではシンボルなんだよ。だから、周りのコーチたちも、指南役というよりは、お伺いを立てるような形だったから、その辺で心と心のつながり、っていうのかな、だんだん薄れていったような気がする。その辺は、他の人たちの話を聞いても、そう思った。仰木さんの時は、チームも強くて、みんな、のびのびしているような空気もあった。そういう時代の後だっただけに、よけいにね。
例えば、投手に関しても、仰木さんはよく外野を走っていたやん? その理由はさておきなんだけど、そこで会話が生まれるんだよね。俺なんかも『次、頼むぞ』とか『切り替えろよ』とか、そういう一言で救われることもあったんだ。
去年(2024年)まで阪神の監督だった岡田(彰布)さんとか(元ヤクルト、阪神、楽天監督の)野村克也さんとか、もしかしたら鈴木さんに近いのかもしれない。けど、多分、その間に入っているコーチがもっとうまくやってたんだと思うよ」
〈つづく〉

