革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「野茂英雄はサイドスローなんです」メジャーに最も近かった男・佐々木誠が語る“新たな野茂観”と“特異性”「球種を見破っても打てなかった」
posted2025/06/27 11:01
野茂と言えば豪快なトルネードからの上手投げ、のはずだが……当時最強打者のひとり、佐々木誠が語った特異な投球フォームの秘密とは?
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Takahiro Kohara
40打席以上、野茂英雄と対戦した当時の打者の中で、野茂を最も打ったのが、佐々木誠が「キヨ」の愛称で呼んだ西武時代の僚友・清原和博だ。対戦打率.356、42安打、10本塁打はいずれも対野茂ではトップ。
佐々木は、野茂との5年間の対戦で通算19安打、佐々木とのトレードで西武からダイエー(現ソフトバンク)に移籍した秋山幸二の18安打よりも上だが、8本塁打を放った秋山とは対照的に本塁打は打てず、喫した三振も31。これは秋山の52、オレステス・デストラーデの35、清原の34に次いで、対野茂としてはワースト4位となる数字だ。
野茂のせいでオーバースローが嫌いになった
野茂が近鉄でプレーしていた1990年からの5年間は、佐々木にとっても、まさしく全盛期。最も脂の乗っていた時でもある。そんな中でも打ちあぐんだ右腕だったから「一番印象深いですよね。しんどかった」と振り返る。
ADVERTISEMENT
「打ちにくいんですよ。(球の)軌道がもう、全然合わないんですよ。右ピッチャーってあんまり苦にならないんだけど、オーバースローがあれから苦手になってね……。野茂のせいでオーバースローが嫌いになったんですよ」
謙遜含みのジョークも交えた佐々木の分析は、まさしく微に入り細を穿つ、というものだった。佐々木が、野茂に抱き続け、拭い去れなかった“違和感”があった。
左投手の球筋で来る?
「右ピッチャーのオーバースローで、その当時、マウンドプレートの一塁側を踏んで投げるピッチャーって、いなかったんですよ。野茂は右で投げているのに、だから左(投手)の角度で来るわけです。左投手の球筋で来るんです」
ここは少々、解説が必要だろう。佐々木の目で詳しく分析してもらった。

