革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

「開幕戦は野茂と心中や」1994年“史上初の快挙”へ快投を続ける野茂英雄に鈴木啓示監督が寄せていた“信頼”と“不満”…「もっと走らなアカン」

posted2025/05/02 11:04

 
「開幕戦は野茂と心中や」1994年“史上初の快挙”へ快投を続ける野茂英雄に鈴木啓示監督が寄せていた“信頼”と“不満”…「もっと走らなアカン」<Number Web> photograph by KYODO

自身300勝の大投手だった鈴木啓示監督は野茂への信頼を口にしていた。開幕戦で史上初の大記録が近づく中、鈴木監督の采配は…

text by

喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

PROFILE

photograph by

KYODO

1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてからちょうど30年。野茂の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者たちを当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。その「軋み」は、開幕戦からはじまっていた——。〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第2回/つづきを読む

 近鉄バファローズの開幕戦は、西武ライオンズ球場での一戦だった。

 当時は、屋根のない屋外球場だった。春の柔らかな日差しに包まれたデーゲームは、青い空と、緑の人工芝のコントラストが、実に鮮やかだった印象がある。

初の球団担当

 1994年4月9日。

ADVERTISEMENT

 サンケイスポーツで、記者生活をスタートして5年目だった私は、この年から近鉄担当を命じられていた。バファローズだから「猛牛番」。生まれて初めて、プロ野球の球団担当としての活動を始めたシーズンだった。

 あれから30年以上にわたって、私はプロ野球取材の現場に立ち続けている。その私にとっても、あの日が、野球記者人生の“開幕戦”だった。

 普段は、ノーネクタイのラフなスタイルでも、特に咎められることもないプロ野球取材の現場だが、開幕戦と、担当球団の優勝決定日、さらに日本シリーズの戦いは、スーツとネクタイでの正装が不文律なのは、今も昔も変わらぬ取材現場の慣習でもある。

1994年にかける野茂の思い

「今まで以上に、今年は優勝にこだわりたい。だから、1試合も落としたくない」

 開幕前日、ルーキーイヤーから4年連続最多勝、そして最多奪三振の「トルネード」が語ったのは「優勝」への熱い思いだった。数々の栄光を手にしてきた右腕が、そこまでのプロ4年間で、手にすることができていなかったのが、チームの「優勝」だった。

 今回の連載では、野茂が近鉄の仲間たちを心から愛し、信頼し、深い絆を築いていたからこそ、この仲間たちと一緒に、歓喜のビールかけをしたいという思いが、本当に強かったというそのチーム愛にも、後に触れていくことになる。

【次ページ】 かつての大投手の“不満”

1 2 3 4 NEXT
#近鉄バファローズ
#西武ライオンズ
#野茂英雄
#鈴木啓示
#石井浩郎
#郭泰源

プロ野球の前後の記事

ページトップ