革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「態度悪いですよね。でも…」“胴上げに背を向けた男”吉井理人の感情の激しさを鈴木啓示は認めなかった「監督と選手の心の絆が薄れていた」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2025/06/13 11:08
1993年、プロ初完封をマークした吉井(右)を称える鈴木啓示監督。だがワンマン体制のもと、選手と監督の心の距離は離れていった
ベンチで戦況を見つめながら、その両目が潤んでいたのだ。
「There is no use crying in baseball」
訳せば「野球に涙は不要」。相手の前で、決して弱みを見せるな。そのメジャーイズムに反する“降板後の涙”がクローズアップされたのだ。
気持ちを表に出してはいけないのか
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吉井は、かつての教え子の態度に「悔しかったんでしょうね」と理解を示した。
「これも人によって違うんですけど、なんか、どよーんとした雰囲気でベンチに座られても、士気が下がるんで、だったら、しゃきっとした姿でベンチに戻れるまでの時間は、どこにいてもいいと、僕は思うんですよ。だから朗希は、やっぱりそれができない、と思ったんで、裏に入ったんだと思うんです。それは責められないと思うんです。だって、ビービー泣きながら、ベンチにおられてもイヤでしょ?」
何、泣いてるねん……ってなりますよね?
「そうなんですよ。やっぱり、感情なんで、泣くなと言っても、込み上げるものはあると思うんでね。あれを責められるとね」
しかし、そうやって気持ちを表に出すことが、鈴木のもとでは、どこか認められない空気があった。交代時にボールを蹴飛ばしたから、トレードに出された。そんな短絡的な理由ではないと信じたい。それでも、気性の激しそうな、どこかしら制御しづらい主力たちが続々とその当時、近鉄から離れていっているというその事実に、何らかの“共通項”が見えるといったら、うがちすぎだろうか。
猛牛軍団はなぜ瓦解していったのか?
阿波野秀幸、金村義明、小野和義、吉井理人、そして野茂英雄。個性の強い選手たちが、鈴木の監督時代にことごとく、近鉄から去っている。
吉井は、監督・鈴木啓示とのコミュニケーションが不足していたことを強調した。
「監督が直接言ってくれたらいいんですけど、いつも何か言われるのは、間接的に言われたんでね」

