革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「態度悪いですよね。でも…」“胴上げに背を向けた男”吉井理人の感情の激しさを鈴木啓示は認めなかった「監督と選手の心の絆が薄れていた」
posted2025/06/13 11:08

1993年、プロ初完封をマークした吉井(右)を称える鈴木啓示監督。だがワンマン体制のもと、選手と監督の心の距離は離れていった
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
KYODO
野茂英雄がメジャーに渡って30年。彼の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者を当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。感情に任せた行動が問題視された吉井理人。だが吉井のみならず当時の主力が次々とチームを去ったことには、より深い要因があった。〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第18回/初回から読む/前回はこちら〉
1989年の胴上げ投手に送り出されたのは、阿波野秀幸だった。
前年の「10.19」、伝説のダブルヘッダーで2試合とも救援のマウンドに立ち、勝てば優勝というその2試合目に同点本塁打を浴びたという、そのリベンジの意味合いもあるだろう。3年連続200イニング以上を投げた左腕は、まさに粉骨砕身の言葉がふさわしい。阿波野がいたから、近鉄は優勝できたともいえる。
だから、最後は阿波野で、という仰木彬監督の気持ちも分かる。しかし、1年間ストッパーを務めてきた吉井理人にすれば、プライドが傷つく采配だ。もう、我慢ならない。
吉井の後悔
ADVERTISEMENT
優勝が決まった。マウンドに歓喜の輪ができ、仰木の胴上げが始まる。納得いかない吉井は、その胴上げに背を向け、すたすたとロッカーへ引き揚げていった。
投手コーチの権藤博が、慌てて吉井を追いかけた。
「ああ、そんなこと、ありましたね」
若かりし日の、感情に任せたその行動に関して、吉井は少しだけ悔やんでいた。
「態度、悪いですよね。あそこは勝ったんだから、みんなでやっぱり、一緒に喜ばないといけないところだったと思うんです。あれは反省しています。自分の都合、機嫌でああいう風になるのは、やっぱりよくない。
その後の日本シリーズもそういう意味で、なんか適当な感じになっちゃったんで、すごく後悔しています。その後、近鉄は日本一になっていないわけですから、そこはもうちょっと、真剣に投げなきゃいけなかったところだと思うんです」