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「鈴木啓示監督を嫌いとかではなかった」吉井理人が“ボール蹴飛ばし事件”で近鉄から電撃トレードされた深層「あれで、気持ちが切れました」
posted2025/06/13 11:07

88年からクローザーを務めた吉井理人。94年には先発として7勝を挙げたが……
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Takahiro Kohara
2023年から千葉ロッテの監督を務める吉井理人は、1983年の近鉄ドラフト2位指名を受け、和歌山の名門・箕島高からプロ入りした。だから、1985年のシーズン途中に引退した鈴木啓示の晩年と、ルーキー時代の吉井は現役時代がかぶっている。
吉井と光山の見た鈴木啓示
「僕は、鈴木さんと現役で1年半、一緒にやっていることになるんです。鈴木さんはやっぱりハードワーカーで、すごく練習する人だったので、尊敬する先輩でした。なので、監督になられたときも、ボク的には嫌いとか苦手とかという感じではなかったんですよ」
18歳年上の大ベテランが、ひたすら走り、とことん投げ込む姿を間近にして、プロのすさまじさを思い知らされた。その姿勢はまさしく絶好のお手本だった。
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ちなみに、近鉄の捕手だった光山英和(現ロッテ1・2軍統括コーチ兼統括コーディネーター)にも鈴木に対する思いを聞いてみたが、吉井と同様だった。
「僕は、どっちかと言ったら、いい人やなと思ってました。野茂なんて、よく僕に『あの人は……』という感じでいろいろと言ってはいましたけど『そんな悪い人、ちゃうで』って何回となく言いました。『ええ、そうなんですか?』という感じには、よく言われましたね」
吉井のちょっとした失敗
その吉井には、鈴木にまつわる、ちょっとした“若き日の失敗”がある。
ルーキー時代に、宿舎の風呂場で鈴木と鉢合わせしたという。
ところが、実はその風呂が、ベテラン優先の“特別湯”だった。風呂場は2つあり、当時の吉井のようなルーキーは当然“一般風呂”に入らないといけない。
その暗黙のルールを知らなかった吉井は「こっちの方がすいてるやないか、って思って行ったら、鈴木さんがおったんです」と、そのシーンを思い出しながら、ふっと笑った。