革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

「野茂英雄は練習嫌い」だったのか? 野茂が口にせず鈴木啓示が誤解していた“真実”が明らかに「ボタンの掛け違いで…やり切れないよね」

posted2025/06/13 11:09

 
「野茂英雄は練習嫌い」だったのか? 野茂が口にせず鈴木啓示が誤解していた“真実”が明らかに「ボタンの掛け違いで…やり切れないよね」<Number Web> photograph by Makoto Kemmisaki

鈴木啓示監督は「野茂は練習をしない」と信じ込んでいたが……選手は知っていた“真相”を光山英和が明かしてくれた

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Makoto Kemmisaki

野茂英雄がメジャーに渡って30年。彼の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者を当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。球団と選手たちとの溝。そこにあったのはワンマン鈴木啓示と選手とのコミュニケーション不足という、単純なようで根深い問題だった。〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第19回/初回から読む前回はこちら

 佐野重樹(現・慈紀)が挙げたのも、監督と選手との“つなぎ役不在”のことだった。

 鈴木啓示の監督1年目、1993年のことだ。ヘッドコーチの藤井栄治が、開幕5試合目で体調不良を理由に退団するということがあった。西武、阪神などでもコーチを務めるなど指導歴が長く、鈴木より7歳年上の先輩だが、伝わってきたところでは、指導方針に関しての対立で全く折れない鈴木に、藤井は耐えられなくなっての“けんか別れ”だと見られている。

 そうしたトップの言動を見ていれば、他のコーチだって進言しづらくなる。佐野は「だから、藤井さんがおった方がよかったんよ、ホントはね」という。

監督と選手、互いの無理解

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 鈴木近鉄はつまり、事実上のワンマン体制でもあった。監督と選手との直接的なコミュニケーションがないから、細やかなニュアンスが伝わり切らず、互いの理解も進まない。

 落合博満の対談集『こたえあわせ』(集英社)の中で、鈴木が野茂英雄の練習法に関して言及している部分がある。ここで抜粋してみよう。
 
 走っとったら、足のほうは大丈夫やね。それを同じようにして、近鉄の監督のとき、野茂あたりに「走れ、走れ」言うたら、もう拗ねてしもうて(笑)。自分の感覚で「人はついてきてくれる」「育ってくれる」と思うたけど、あかんわ。彼だけはわからんわ。3つカンカンカーンとフォアボール出しよんねん。それで代えなあかんな、と思ったら、3つ三振取りよんねん。そういうピッチャーやったからね、わかれへん。で、走るとか、投げ込むとかいうのをしないね、あの子はね。
 それでも勝っちゃったから、「もうちょっと走り込んでみいや、もうちょっと投げてみいや。今で15勝も16勝もできんねやから、やったら20勝くらいすぐできるで」って言うたけど。

 
 野茂は投げない、走らない、練習しない。

 それが、鈴木の“思い込み”に過ぎないことを、実は選手たちは分かっていた。

【次ページ】 開幕戦交代事件ではなかった“決定打”

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