革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「何かあったのか、野茂?」「こんなの、考えられません」野茂英雄が激怒! “気遣いできるエース“阿波野秀幸が見た1994年の近鉄「衝撃の事件」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/05/16 11:00
1994年当時はエースの座を野茂英雄に譲っていた阿波野秀幸だったが、野茂のことを気遣い、手助けしていた
阿波野の観察眼と気遣い
野茂のルーキーイヤーに、阿波野は野茂と連れ立って、キャンプ地の宮崎・日向の妙国寺に、座禅を組みに行った。それが毎年のルーティンとなり、1994年もキャンプ休日だった2月19日、阿波野は野茂と一緒に、妙国寺へ足を運んでいる。
この時、私も取材に出向いていたのだが、実はその日、朝から体調が悪く、発熱もしていたのか、足元もふらふらしていた。練習取材じゃないし、そんなに時間も長くならないだろうから、とにかく午前中にネタを仕込んで、午後はホテルで寝ていれば治るだろうと考えたのだが、座禅中の2人の様子を取材するため、同じ板の間に座っていたときでさえも体が左右に揺れ、ぐらぐらしてしょうがなかった。
私の体調不良に、すぐ気づいたのが阿波野だった。
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「どこか悪いんじゃない? 大丈夫か? もう、早く帰って休んどけよ」
私の個人的な経験を、これから描くエースと監督の“衝突”という衝撃的な事件の引き合いに出したのは、阿波野の観察眼の鋭さと、周囲への気遣いを強調したかったからだ。
野茂が血相を変えて…
1994年4月22日、日生球場で試合前練習が行われる直前のことだった。
日生球場のロッカールームに、血相の変わった野茂が飛び込んできた。阿波野は、その尋常じゃない表情に、思わず声を掛けたのだという。
「どうした? 何かあったのか、野茂?」
怒りのあまり、青白い顔の後輩は、堰を切ったように話し出したのだという。
「こんなの、考えられません」——。
その引き金は“博多の早朝”の出来事にあった。
〈つづく〉

