革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「何かあったのか、野茂?」「こんなの、考えられません」野茂英雄が激怒! “気遣いできるエース“阿波野秀幸が見た1994年の近鉄「衝撃の事件」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/05/16 11:00
1994年当時はエースの座を野茂英雄に譲っていた阿波野秀幸だったが、野茂のことを気遣い、手助けしていた
その反動なのだろうか。91年に左肘を痛め、2桁勝利も4年連続でストップしている。
「今の時代だったら、多分、トミー・ジョン手術を受けてる。そういう例が球界にほとんどまだなかった状態だったから、自分の中でも踏み切れない部分があったんだ」
復活をかけた1994年
そう振り返った阿波野は、故障明けの92年に「リリーフ、そして空いてるときに先発。いろんなことをやったんだ」と6勝を挙げたが、鈴木啓示が監督に就任した93年は1勝止まり。エースの座は、90年のルーキーイヤーから4年連続で最多勝のタイトルを獲得していた野茂に譲らざるを得ないという苦境下で、94年は阿波野にとって、真の復活をかける重要な1年でもあった。
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「本来は、野茂が入ってきたお陰で、俺も活躍して、それで優勝っていうのが、俺の中でもそういう思いがあったし、野茂もそうだったと思う。野茂が入ってきたとき、俺がかろうじて10勝、2桁勝ったんだけど、勝ち越してもいない(11敗)し、自分もそういうタイミングで、そうなっていったというのが悔やまれるんだよ」
野茂の手助けになれば…
ただ、野茂の歩んでいる道には、かつての自分を投影できた。同じドラフト1位で、ルーキーイヤーから活躍、若き「エース」としての期待と注目を担いながら、阿波野は249回3分の2、野茂も235イニングと、2人はそれこそ1年目から投げまくっていた。
「野茂は、入ってきたときから騒がれてきたから、その苦労も傍らで見て、よく分かったからさ。そうした雑音とか、そういった部分でも、ちょっと手助けになればな、なんて思ったりしたからね」


