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証言「森保のスパイクが隠されたり…」森保一監督、中学時代“陰湿イジメ”からの逆転人生「もう練習行かない」森保の父親が2度救った危機
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/01/28 11:04
森保一監督(55歳)。本連載では指揮官の“意外な素顔”をレポートする
高2の夏、サッカー部の練習を約2週間無断で休み、外泊を繰り返したのだ。サッカーどころか、学校をやめていてもおかしくなかった。
じつはこのときも、父が重要な役割を果たしている(本連載の第5回以降であらためて取り上げる)。
父・洋記はとにかく人を大事にする人物だった。森保の親友・岩本も薫陶を受けたひとりである。
「森保のお父さんは本当にすごくて、小学校のときから別チームである僕のことまで気にかけてくれた。息子のチームと対戦しているというのに、僕が不甲斐ないプレーをすると我が子のように本気で怒ってくれた。『ダメなことはダメだ』とものすごい形相で。でも、サッカーから離れると『岩本、家に上がって飯を食ってけ』と面倒を見てくれる。森保が人を大事にするのは、間違いなくお父さんの影響です」
◆◆◆
岩本は今でも森保の両親と付き合いがある。
「ある方から『叩かれて非難されるほど一流の監督』という言葉を聞きました。カタールW杯最終予選中に批判が高まってありえないような新聞の見出しがつけられたときに、ご両親にこの言葉を伝えました。『まさにハジメのことですよ。彼はそういうことを含めて、すべてを自分のパワーに換えられる男です』と。
森保の根底にあるのはお父さんとお母さんからの深い愛情じゃないかな。それを受け止めて走り続けたから、今の彼がある」
森保はサッカーをやめかけるたびに、父に引き戻してもらった。
感情に流されて道を変えるのは簡単だが、そこで踏み止まれば新たな自分に出会え、次のステージに進めることに気がついたに違いない。
学生時代のやんちゃな経験が監督としての幅につながっているように、サッカーから離れそうになった経験がきっと現在の「ブレなさ」につながっている。
<続く>
森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎県出身。1987年に長崎日大高を卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団する。現役時代は、広島、仙台などで活躍し、代表通算35試合出場。1993年10月にドーハの悲劇を経験。2003年に現役引退後、広島の監督として3度のJ1制覇。2018年ロシアW杯ではコーチを務め、2021年東京五輪では日本を4位に、2022年カタールW杯ではベスト16に導いた