誰も知らない森保一BACK NUMBER
「いざというときの森保さんはスゴい」森保一監督56歳の執念…当時の広島関係者が証言「まだ24時間ある」徹夜で仕事「他クラブでは“ぬるさ”を感じた」
posted2024/12/07 11:02
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
AFLO
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チーム内に高い基準をつくり、みんなの意識を高める――。戦術や戦略に加えて、監督の最も大事な仕事のひとつだろう。
手法は監督によってさまざまだ。たとえば川崎フロンターレに黄金期をもたらした風間八宏監督は、「止める・蹴る」といった言語化と定義化によってチーム内に高い技術水準をつくるのを得意にしている。止めようとしたボールが10cmでも転がったら、止まっていないと判定されるというように。
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リバプールにCLやプレミアリーグのタイトルをもたらしたユルゲン・クロップ監督は、最高のスタッフをそろえることにこだわった。優れた知識を持つ専門家が集まれば、あらゆる能力の水準を高められる。
では、日本代表を率いる森保一監督はどうやって高い基準を実現するタイプなのだろう?
「まだ24時間ある」徹夜で作業した
2007年9月から2009年12月まで、森保がサンフレッチェ広島でコーチを務めているときのことだ。
広島を率いていたミシャ・ペトロビッチ監督(当時)から、森保は対戦相手の分析を一任された。具体的にはテクニカルスタッフと共に対戦相手の映像をまとめ、ミーティングで発表するという役割である。
それまで森保は広島のアカデミーやU20日本代表でコーチを経験していたものの、トップチームのコーチを担当するのは初めてだった。クラブのレジェンドは指導者としても成功できるのか? 森保は分析を担当できる喜びと共に、大きな責任と重圧を感じていたに違いない。
プロにおける分析は時間との戦いだ。当時はまだ試合映像はDVDでやりとりされており、最新試合のDVDが届くのが分析ミーティングの前日ということもざらだった。
時間制限のプレッシャーがあると、焦りが生まれたり、楽な方に流されたりするのが普通だろう。間に合わせることを優先してもおかしくない。
だが、森保の流儀は真逆だった。追い込まれれば追い込まれるほど、逆に負けじ魂を燃え上がらせる。
当時のスタッフによると、DVDがミーティング前日に届いた際、森保はみんなをこう鼓舞したという。