誰も知らない森保一BACK NUMBER
証言「森保のスパイクが隠されたり…」森保一監督、中学時代“陰湿イジメ”からの逆転人生「もう練習行かない」森保の父親が2度救った危機
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/01/28 11:04
森保一監督(55歳)。本連載では指揮官の“意外な素顔”をレポートする
森保は早々にサッカーに見切りをつけ、ハンドボール部へ入部届を出した。深堀中のハンドボール部は全国大会の常連だったからだ。少年にとっては競技そのものよりも、全国というブランドの方が魅力的だったのである。もしそのままハンドボールを続けていたら、間違いなくプロサッカー選手にはなれなかった。
父親「お前、もうサッカーやらなくていいのか?」
そんなときにサッカーの道に引き戻してくれたのが、造船業についていた父・洋記だった。『ぽいち 森保一自伝』(西岡明彦との共著)にこう綴られている。
「父親に『お前、もうサッカーやらなくてもいいのか?』と問いただされたのである。『いや、うちの中学校にはサッカー部がなくて、やりたくてもできない』と答えると、『だったら、隣町の中学校のサッカー部の監督や父兄を知っているから、練習だけでもいいから参加してみろ』と言われたのである」
父の指示に従い、森保は放課後、自転車で10分ほどの距離にある土井首中学校サッカー部の練習に参加し始めた。
父の見立ては間違っていなかった。当時の土井首中学校にはレベルの高い選手が集まっており、森保は彼らにもまれてめきめきと力を伸ばした。森保は自伝で「自分でもわかるくらい、どんどん技術が上達していった」と振り返る。
中学時代のイジメ「スパイク隠しも…」
しかし同時に、自分の力ではどうしようもない困難が降りかかってきた。
よそ者に対するイジメだ。
森保は中学が異なるため公式戦に出られないが、監督の計らいで練習試合でプレーをさせてもらえた。よそ者に嫉妬する選手がいても不思議ではない。森保のスパイクがグラウンドの外に放り投げられるなど、陰湿な嫌がらせが始まった。
隣町の香焼中学校に通っていた親友・岩本文昭は、のちに土井首中出身者から当時の悲惨な状況を聞かされた。