誰も知らない森保一BACK NUMBER
「彼女は地元で有名な美少女でした」日本代表・森保一監督は妻とこうして出会った…長崎の親友が証言する「本当にいい雰囲気の夫婦です」
posted2024/02/20 11:04
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
JIJI PRESS
サッカー日本代表の指揮官・森保一(55歳)とはいったい何者なのか? 森保の地元・長崎、そして広島、仙台を徹底取材して見えてきた“意外な素顔”とは? ライター木崎伸也氏がNumberWeb集中連載でレポートする。【連載「誰も知らない森保一」の第14回/第1回~第13回も公開中】
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森保一にとって高校サッカー人生は、苦渋をなめさせられる3年間だった。
長崎市立深堀中サッカー部でダブルエースを組んでいた清水利治は島原商業高に進学し、高1のときに高校選手権で優勝(1984年度)。隣町の親友・岩本文昭は国見高校に進学し、高3のときにインターハイ優勝、高校選手権準優勝という輝かしい成績を残した(1986年度)。
一方で、森保が所属する長崎日大高は1度も全国大会に出られなかった。
「地元で有名な美少女」
ただし、ピッチ外の話となると事情が変わってくる。なぜなら森保は地元の「ヒロイン」と交際していたからだ。のちの妻・由美子である。
前出の親友・岩本はアイドルを懐かしむかのように語った。
「彼女は中学時代から地元で有名な美少女で、顔立ちがきれいなだけでなく、九州の大会で優勝を争うような100メートルの選手でした。『隣町にすごくかわいくてきれいな人がいる』と話題になり、僕が通っていた中学校にもファンがたくさんいたほどです。
僕はサッカー部でしたが、駆り出されて陸上の大会にも出ていました。そこでも彼女の人気ぶりを目の当たりにしました」
偶然にも、彼女の名字も森保だった。当時、地元で「森保」といったら、のちの日本代表監督になる少年よりも、のちにその妻となる少女の方が有名だったのである。
高校の担任「付き合っていたと聞いて驚いた」
2人が最初に出会ったのは、長崎日大高校の特待生試験だった(第13回参照)。『ぽいち 森保一自伝』(西岡明彦との共著)で、森保は「試験のとき、名字が一緒だったため、印象に残っていた」と綴っている。