誰も知らない森保一BACK NUMBER
証言「森保のスパイクが隠されたり…」森保一監督、中学時代“陰湿イジメ”からの逆転人生「もう練習行かない」森保の父親が2度救った危機
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/01/28 11:04
森保一監督(55歳)。本連載では指揮官の“意外な素顔”をレポートする
「用具隠しなど嫌がらせがずっと続いていたそうです。ある知人は『森保に対する扱いは本当にひどかった』と言っていた。森保は人間的に魅力があるし、プレーもすごくうまかったので、嫉妬されていたんでしょう。
ただ、森保らしいのは地元の仲間にそれを言わなかったこと。いまだにこの件を聞いても、森保は笑ってごまかすだけ。みんなに心配をかけさせないやつなんです」
この件について、森保は自伝で前向きに振り返っている。
「他校から来て1年生ながら、練習試合などにも出場していた僕を、面白く思っていない連中もいたのだろう。でも、僕は負けじと一生懸命サッカーに取り組んだ。すると、そういったイタズラも、やがてなくなるようになった」
「もう練習には行かない」2度目の危機
ただし、おそらくこれは真実の一部しか書かれていない。心に受けた傷は想像以上に深かった。父・洋記に取材した日刊スポーツの記事(2018年7月28日付)によると、森保は父に「来年からは練習には行かない」と漏らしたという。
もし土井首中の練習に行かなくなれば、チームでボールを蹴る機会を失うことになる。これが2度目のサッカーをやめかけた瞬間だ。
このときも手を差し伸べてくれたのは父だった。
父・洋記は他の保護者と力を合わせて深堀中の校長に掛け合い、サッカー部を創設したのだ。近隣に三菱重工のグラウンド兼駐車場があり、練習場としてそこを使わせてもらえることになった。三菱重工サッカー部の選手がコーチも買って出てくれた。
深堀中サッカー部創設メンバーの一人で、1年後輩の樋口紀彦(現・立ち飲み居酒屋『ぽいち』店長)は懐かしそうに語った。
「サッカー経験者は4、5人しかおらず、あとは中学から始めた素人ばかり。グラウンドと言っても小さい砂利がたくさんある厳しい環境でした。それでも初代キャプテンになったハジメ君を中心に、チームをつくりあげていくのが楽しかった。
初めは10点差で大敗したこともあります。でも自分たちでメニューを考えたり、筋トレや走り込みをしたりして、どんどん強くなっていった。
2年目は地区の新人戦で優勝しました。MFにのちに島原商業に行って高1で高校選手権を制覇した清水利治君がいて、FWにはハジメ君がいた。縦のラインがしっかりしていたのが大きかったです」
「森保のお父さんは本当にすごくて…」
やがて森保は地域で知られた存在となり、長崎日大高校に特待生として迎えられる。三菱重工から来てくれていたコーチが同校の出身で推薦してくれたのだ。森保はエース候補として高1から試合に出始めた。
ところが、またしても悪い虫が騒ぎ、気持ちが揺れ動いてしまう。