「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
シーズン中にエースを“26日間”飼い殺し…「試合に出ないで一本足で立っているだけ」ヤクルト監督・広岡達朗が松岡弘に授けた“徹底指導”とは
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/08/21 17:01
1978年のペナントレース中にエースの松岡弘を26日間登板させず、自ら徹底的な指導を行った広岡達朗。そこにはどんな意図があったのか
勝負の9月は8試合に登板して6勝無敗
本人が言う通り、ここから松岡の快進撃が始まる。注目すべきは、その登板内容だ。4月2日から6月5日までは16試合の登板だった。そして、復帰後の7月2日から8月終了時点のおよそ2カ月の間に、松岡は同じく16試合に登板している。この間、7月9日、10日は連投し、8月12日の登板後には中3日となる16日も先発。さらに20日に先発した後、翌21日にはリリーフ登板している。
「確かに今の感覚からすれば投げ過ぎのように思えるかもしれないけど、当時はこれが普通ですから。別に疲れも感じていないし、何とも思っていなかったですよ」
なおも松岡の勢いは止まらない。9月に入ると、1日の阪神戦で完投して10勝目を挙げたのを皮切りに、計8試合に登板し6勝無敗という圧倒的な力を発揮し、月間MVPを獲得する。特筆すべきは、この間に42回1/3イニングを投じていることである。6月から7月にかけての「空白の26日間」が、ここにおいて生きてきたのだ。そしてもちろん、その大車輪の活躍はチーム創設29年目にして初となる、セ・リーグ制覇に向けての大きな原動力となる。歓喜の瞬間が近づこうとしていた――。
<#3に続く>