「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
シーズン中にエースを“26日間”飼い殺し…「試合に出ないで一本足で立っているだけ」ヤクルト監督・広岡達朗が松岡弘に授けた“徹底指導”とは
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/08/21 17:01
1978年のペナントレース中にエースの松岡弘を26日間登板させず、自ら徹底的な指導を行った広岡達朗。そこにはどんな意図があったのか
「要するに軸ですよ。広岡さんの考えでは、ピッチングフォームも、バッティングフォームも、あるいは守備のときにも全部軸があるんです。その際にどこに重心を置くか、どこに力を入れて、どこの力を抜くか。きちんと軸が定まれば、何事も無駄のないきれいなフォームになる。広岡さんは、それを口にしていました」
当時の広岡にゆかりのある人物はみな一様に「広岡さんは、いつも自ら手本を示してくれた。そのフォームは実にきれいだった」と口にする。広岡はかつて、自著『意識革命のすすめ』(講談社)において、こう述べている。
《技術は、弁説では伝授できない。そう信じている私は、自分がグラブを手にし、バットを握り、グラウンドを走りまわることができるうちに監督をしたいと考えていた。》
当時、広岡は46歳。心身ともに充実期を迎え、まさに脂の乗り切った時期にあった。
「そのままやれば、必ず勝てるぞ」
チームは一進一退を続けていた。しかし、自分にはチャンスが与えられない。ただただ焦りが募る日々……。当時の松岡はどんな心境だったのか? その答えは短い。
「頭に来ていましたね……」
ひと呼吸おいて、松岡が続ける。
「……もちろん、監督相手だから露骨に反発はしませんよ。でも、“冗談じゃない”っていう思いが態度に出ていたとは思いますよ。だから、聞く耳は持っていなかったけど、それでも毎日同じことばかり言われていれば、頭には残りますよ。ピッチングコーチの堀内(庄)さんからは、“言うことを聞かないと投げさせてもらえないぞ。いいから、言うことを聞いておいた方がいいぞ”とは言われていましたね」
しかし、次第に松岡の心境にも変化が訪れる。
「最初は反発の思いも強かったけど、次第に“もういいよ、諦めて言う通りにしよう”という気持ちになってきましたね。それで、言うことを聞いたふりをしながら続けていたんだけど、さらにその後には、“やってみて悪いことがないなら、続けてみるのもいいかな”という気持ちになってきた。結局、言うことを聞かざるを得ない状況に追い込まれていたんだと思いますよ。あんまりこの言葉は使いたくないけど、やっぱり、《洗脳》の効果が出てきたんじゃないのかな?」