「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「巨人のユニフォームを見ただけでチビったよね(笑)」ヤクルトの大エース・松岡弘が語る“全盛期の王・長嶋”の恐ろしさ「とにかく重圧が…」
posted2023/08/21 17:02
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
JIJI PRESS
ジャイアンツとの白熱する首位争い
1978年のペナントレースもいよいよ後半戦に差しかかり、8月に入るとヤクルトスワローズと長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツの激しいデッドヒートが繰り広げられた。まずは2日の直接対決でヤクルトが勝利して、わずか4毛差ながら首位を奪回。しかし後楽園球場で行われた16~18日の首位攻防戦では1勝2敗と負け越し、ゲーム差は3.5まで開いた。
26~28日にかけて神宮球場で行われた対戦では、ヤクルトが意地を見せて2勝1分。首位・巨人に2ゲーム差まで詰め寄った。初戦に先発した松岡弘は122球を投じ、完封で9勝目を挙げる。試合後には「オレだって男だ」の名言も飛び出した。改めてヒーローインタビューを再録したい。
「これがピッチングなんだ。オレも男、今日は本当に気合が入ったよ。今シーズン最高じゃないか。精魂込めて投げれば、そんなに打たれるもんじゃないんだ。
“お前がやらにゃいかん”と、チーム内外からしりをたたかれ続けたが、この巨人戦は絶対にやってやろうと思ってたんだ。本当に今日はうれしいよ」
(『ヤクルト初栄冠』/日刊スポーツ出版社)
勝負の8月、ヤクルトは巨人と8試合を戦って4勝2敗2分で乗り切った。前年は7勝19敗と大きく負け越し、優勝した巨人とは15ゲーム差も引き離されていただけに、それは「善戦」と言っていい結果だった。
監督就任時、広岡達朗は「ジャイアンツコンプレックスの払拭」を大命題としていた。そのための方策として、78年春はアメリカのアリゾナ州ユマでキャンプを張った。そこにあったのは「目指すべきは、巨人ではなく大リーグ」の思いがあったからだ。松岡が言う。