プロ野球PRESSBACK NUMBER

長女が語る父・広岡達朗の実像「全然厳しくない」「子どもの判断を尊重してくれた」神宮帰りの車で聞いた野球論「手だけで捕りにいくからダメなんだ」

posted2025/12/06 12:09

 
長女が語る父・広岡達朗の実像「全然厳しくない」「子どもの判断を尊重してくれた」神宮帰りの車で聞いた野球論「手だけで捕りにいくからダメなんだ」<Number Web> photograph by KYODO

ヤクルトスワローズ監督時代の広岡達朗。当時高校生だった娘の祥子さんにとって、父はどんな存在だったのか

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

PROFILE

photograph by

KYODO

1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が発売される。家族が初めて明かす、広岡達朗の素顔とは――。同書籍より、長女の祥子さんに話を聞いた章の一部を紹介する。(全2回の1回目/後編へ)

「全然厳しくない」「子どもの判断を尊重してくれた」

「物心ついた頃の記憶は、父の現役晩年でした。私はまだ幼稚園児でしたけれど、テレビに映る父の姿は理解していたようです。でも、ヒットやファウルの区別はついていないから、父がバットに当てると、テレビのある和室からキッチンまで走っていって、“ママ、パパが打ったよ”って、必ず伝えに行っていたようです」

 すでに還暦を過ぎているとは思えない、若々しい表情で祥子さんは言った。その名前は、広岡が師事する中村天風の命名によるものだった。インタビューが行われている隣の部屋では広岡が大音量でテレビを見ている。

 球史に残る昭和の名将の何気ない日常風景が、そこでは展開されていた。

ADVERTISEMENT

「親子仲は良かったと思います。友だちが、自分の父親のことを“くそジジイ”と言っているのを聞いて驚いたぐらいですから。といっても、それほど親密な間柄だったわけではありません。小さい頃から一緒に過ごす時間が少なかったから。たまに父が帰宅したときには、嬉しくて抱きついていたんですけど、ある時期から、“もう重いから、飛びつくことはやめなさい”って言われたことを覚えていますね」

 世間では「厳格でクールな男」として認識されている。自宅での広岡は、どんな様子なのだろうか? 子どもたちにとって、どんな父親なのだろうか?

「私から見たら、全然厳しいとは思わないです。嘘をついたり、遅刻をしたりすることについては注意されたけど、子どもの判断を尊重してくれて自由に育ててくれたと思います。ただ、“朝、目覚めてすぐに冷たいものをお腹に入れるな”とか、“炭酸飲料は飲むな”ということはよく言われました。カップラーメンも食べることはなかったですね」

【次ページ】 「私にとっての部活動」神宮球場に通い詰めた高校時代

1 2 3 NEXT
#広岡達朗
#東京ヤクルトスワローズ
#井上陽水

プロ野球の前後の記事

ページトップ