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[盟友の語らい]藤沢和雄×国枝栄「世界に翔んだ美浦の青春」
posted2022/05/21 07:03
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Takashi Shimizu
ともに本場イギリスで学び、調教師として海外GIを制した両者の歩みは、'80年代以降の“国際化”に重なる。調教助手時代から世界との距離を語り合ってきた2人の名トレーナーの目に映る、日本競馬の現在地。
──藤沢さんは今年の2月に調教師を引退されましたが、それからお二人が会う機会はあったんですか?
国枝 ええ、つい先日も重要な懇談会がありまして……。
藤沢 そう、ボールを打つ懇談会ね(笑)。
──(笑)。藤沢さんは1977年にニューマーケットから帰国されて調教助手になり、国枝調教師は'78年の美浦トレセン開業と同時に助手になりました。お二人が初めて会われた時のことは記憶にありますか?
国枝 覚えてますよ。トレセンの馬具屋さんの紹介で、廐舎の大仲(休憩室)で会いましたね。当時、フジさん(藤沢)がニューマーケットで4年働かれて戻られたことはトレセンでも有名で、是非会いたいと思って。
藤沢 熱い、青春時代。前川三喜雄(田中清隆廐舎所属の調教助手、2000年逝去)や、中野栄治(元騎手、現調教師)くん、大江原(哲、元騎手、現調教師)くん、高市(圭二、元騎手、調教師、'20年逝去)くんもいた。7、8人で集まって食事しながら、いろいろな話をしたなあ。
国枝 フジさんは近寄りがたいオーラがあった(笑)。あとは前川さんも熱かった。熱すぎるくらい。
藤沢 国枝先生も、イシノヒカルが菊花賞を連闘で勝ったレースを熱く語っていたのを覚えてる。あと、前川も10年くらいアメリカに行って帰ってきたクチだったから、外国の競馬の話題にもよくなった。